あなたの神、主を愛しなさい

一人でも多くの方に福音をとどける思いで、ブログを書かせていただいております。

この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた(ルカ2:36~40)

(今回は、老女アンナによる、このイエスが救い主なのだという預言、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の36~40節より

『また、アセル族(=イスラエルの12部族の一つ)のパヌエル(=ヨルダン川中流の東にある地名)の娘で、アンナという女預言者(=神からの使者)がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらし(=夫を失った生活)をし、八十四歳になっていた。そして宮(=エルサレム神殿)を離れずに夜も昼も断食(=だんじきとは、食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=敬(うやま)い、尊(たっと)ぶこと)をもって神に近づくのを目的としています。なお “身を悩ます” ということばが断食を意味しています(レビ記16:29))と祈(いのり)とをもって神に仕えていた。この老女(ろうじょ)も、ちょうどそのとき(=聖霊にみちびかれて幼な子のイエスに)近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を(=イスラエルに救い主が到来するのを。なおここでのエルサレムイスラエルを意味しています)待ち望んでいるすべての人々に(=このイエスが救い主だと)語りきかせた。両親は(=イエスの父ヨセフと母マリヤは)主の(=神の)律法どおり(=長男としての幼な子に関する)すべての事をすませたので、ガリラヤ(=イスラエルの北の地方)へむかい、自分の町ナザレに帰った。幼な子は、ますます(=体が)成長して(=霊も)強くなり(=ルカ1:80)、知恵(=神のことば(聖書)にもとづく知恵、また神性さ(=神の聖なるご性質)のともなった知恵(コロサイ2:2~3))に満ち、そして神の恵みがその上にあった(=キリストは人間としてお生まれになっているので、神からの恵みとしての愛や養いを必要としていました)』

 

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(神は、救い主イエスを世に遣わされましたが、このイエスが救い主なのだと証言する者たち(預言者)も用意されていました。こうしてイスラエルの民に、イエスがうけいれられるような環境を提供されていたのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています(ルカ2:33~35)

(今回は、イスラエルの民を二分するキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の33~35節より

『父と母とは(=イエスの父ヨセフと母マリヤは)幼な子(=イエス)についてこのように語られたことを(=イスラエルの民だけでなく全世界の救い主になるとの預言をうけて)、不思議に思った(=初対面の老人シメオンから、以前にみつかいのガブリエルから聞かされた以上の、神の壮大な計画を知らされておどろいた)。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり(=イエスが神のみわざをしめすことで、かえって多くのユダヤ人をつまづかせ、イエスから遠ざかる結果をまねかせたり)立ちあがらせたり(=イエスが神のみわざをしめすことで、それをただしくうけとめて、イエスにつきしたがわせたり)するために(=要はイエスによってイスラエルの民は二分させられます)、また反対を受けるしるしとして(=また自分たちの信仰こそがただしいのだという誤った者たちからの、敵意を向けられる存在として)、定められています。――そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう(=マリヤ自身もやがては、イエスが十字架にて処刑されるのを目の当たりにし、胸をつらぬかれたような苦しみをおぼえるでしょう)。――それは(=こうした一連の騒動がまきおこるのは)多くの人の心にある思いが(=とくにイエスを憎んでいるとの立場をとった多くの人の思いが)、現れるようになるためです(=明らかにされるためです)」』

 

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(イエスがなす神のみわざをうけとめる者にとっては、救い主だとみとめられていく一方で、そのみわざをうけとめずに、自分たちの信仰がただしいのだとする者にとっては、イエスは邪魔な存在になっていきます。こうした両者の心を、あらわにせずにはおかないのがキリストだったのです。どうか一人でも多くの方が、救い主キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります(ルカ2:22~32)

(今回は、全世界の救い主となられるイエスキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の22~32節より

『それから、モーセの律法(=モーセは、かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を救出したリーダーです。その彼に、神が律法としてあたえた、神の民としての指針)による彼ら(=イエスの父と母)のきよめの期間(=女性は男の子を産んだ際には、40日間の清めの日を要します(レビ12:2~4)。夫のヨセフもマリヤにつきそっていました)が過ぎたとき、両親は幼な子(=イエス)を連れてエルサレムへ上った。それは主(=神)の律法に「母の胎を初めて開く男の子(=長男)はみな、主に聖別された者(=神にささげられ、神にあがなわれて(買い取られて)生きていく者(出13:12~13))と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、また同じ主の律法に、「山ばと一つがい(=雄と雌のひと組)、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲を(=子を産んだマリヤをあがなう(清める)ためのささげものを)ささげるためであった(レビ12:6~8)。その時、エルサレムにシメオンという名の人(=老人)がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰(なぐさ)められるのを(=メシア(救い主)の到来を)待ち望んでいた。また聖霊が(=神の霊が)彼に宿っていた。そして主のつかわす救主(=イエス)に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊(みたま)に感じて(みちびかれて)宮に(=エルサレム神殿に)はいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救(=救い主イエス)を見たのですから。この救はあなたが万民(ばんみん=すべての人々)のまえにお備えになったもので、異邦人(いほうじん=イスラエルの民(ユダヤ人)以外のすべての人々)を照す啓示(けいじ)の光(=神が啓示されていたとおりの光(イザヤ42:6))、み民(=神の民)イスラエルの栄光であります(=こうしてイスラエルの租(そ)であるアブラハムの子孫から、神の約束どおり、イスラエルの栄光ともいうべきイエスが誕生しました(創世記12:3)。ですが彼らが民全体としてこの栄光をうけとるのは、キリストが世のおわりに再臨したときになります。それは『主の御名(みな)によってきたる者(キリスト)に、祝福あれ』とおまえたちが(=悔い改めて)言う時までは、今後ふたたび、わたしに会うことはないであろう、とキリストが語られたとおりです(マタイ23:39)。彼らはよりによって自分たちにあたえられた救い主を、十字架で殺してしまうことになるのです)」』

 

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(神は、世の救い主となるイエスキリストを、ユダヤ人としてお生まれさせました。このキリストが異邦人であるわたしたちの救いも実現させ、いまも進行の途中にあります。そしてやがては異邦人の救いのときがおわり、イスラエルの民が救いにあずかるときがきます(ローマ11:25~26)。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか(ルカ2:15~21)

(今回は、実際にイエスの誕生を見にいくひつじかいたち、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の15~21節より

『御使たちが(=キリストの誕生にあたって神を賛美していたみつかいたちが)彼らを(=ひつじかいたちを)離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ(=キリストが生まれた町へ)行って、主が(=神が)お知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ(=イエスの母と父)、また飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)に寝かしてある幼な子(イエス)を捜(さが)しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を(=このイエスイスラエルの民の救い主となるということを)、人々に伝えた(=言い広めた)。人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った(=おどろいた)。しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。羊飼たちは、見聞きしたことが(=イエスが布にくるまって飼葉おけに寝ていると聞いたこと、そして実際に目撃したことが)何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。八日が過ぎ、割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が(=マリヤに)告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた(=こうしてユダヤ人としてお生まれになったイエスは、律法(=神からの指針(レビ12:3))のとおりに割礼をうけました)』

 

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(ひつじかいたちは、みつかいが言ったとおりかどうなのかをすぐに行動にでて、そしてイエスが寝かされているかいばおけをみつけました。イスラエルの、そして世界中の人たちの救い主となるイエスは、たしかにそこで寝かされていたのです。どうか一人でも多くの方が、わたしたちの救い主キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである(ルカ2:8~14)

(今回は、みつかいが羊飼たちにキリストの誕生をつたえるシーン、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の8~14節より

『さて、この地方で(=ベツレヘムのあたりで)羊飼(ひつじかい)たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主(=神)の御使(みつかい)が現れ、主の栄光が(=ここでは神のご存在が目で見えるものとしてあらわされた光のようなものが)彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に(=イスラエルのすべての人々に)与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデ(=かつてのイスラエルの王)の町(=ベツレヘム)に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリスト(=救い主イエスキリスト)である。あなたがたは、幼な子(イザヤ9:6)が布にくるまって飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)の中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢(=軍をなした大勢のみつかい)が現れ、御使と一緒になって神を(=こうしてイエスが生まれ、地上に救い主をおあたえになった神を)さんびして言った、「いと高きところでは(=天では)、神に栄光があるように(=神に栄光が帰するように)、地の上では(=この地上では)、み心にかなう人々に(=神を信じ、イエスを救い主だとうけいれる人々に)平和があるように」』

 

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(みつかいたちが、天では神に栄光が帰するように、また地では信者に平和があるように、と賛美していますが、これらもキリストによって実現していきます。キリストが地上で神のみわざをおこない、神の栄光をあらわし、これによって天の神を信じ、その栄光をたたえる人々がおこされていきます。またキリストがなしとげてくださる罪のあがないを信じる者には、罪の赦(ゆる)しと永遠の命があたえられ、いかなるときも神がともにおられる平安があたえられます。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:1~7)

(今回は、家畜用のおけに寝かされるキリスト、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・2章の1~7節より

『そのころ(=キリストの先駆者となるヨハネが生まれたころ)、全世界の(=ローマ帝国内の)人口調査をせよ(=税を集めるための調査をせよ)との勅令(ちょくれい)が、皇帝アウグストから出た(=アウグストとは称号のことで、実際の名はオクタヴィアヌスです)。これは、クレニオがシリヤの総督(=ローマによって立てられたそうとく)であった時に行われた最初の人口調査であった(=皇帝からの命令をうけたクレニオのもとで調査がはじめられました)。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ(=自分の戸籍のある町へ)帰って行った。ヨセフも(=イエスの父となるヨセフも、要はマリヤの夫も)ダビデ(=かつてのイスラエルの王)の家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤベツレヘム(=エルサレムより南にある)というダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていた(=イエス聖霊によってみごもっていた)いいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子(ういご=長男となるイエス)を産み、布にくるんで、飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)の中に寝かせた。客間(=宿屋)には彼らのいる余地(=場所)がなかったからである』

 

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(もし人口調査の命令がなければ、イエスはヨセフとマリヤが住んでいたナザレで生まれるところでした。しかしこのタイミングでちょうどベツレヘムに滞在していたのです。そして神の預言どおりに、このベツレヘムにてキリストはお生まれになりました(ミカ5:2)。どうか一人でも多くの方が、神の預言の正確さにふれられますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)

主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから(ルカ1:76~80)

(今回は、ヨハネによるキリストのための準備に関する預言、についてふれたいと思います)

 

ルカによる福音書・1章の76~80節より(以下はザカリヤの預言です)

『「幼な子よ(=生まれてまもないザカリヤの息子、ヨハネよ)、あなたは、いと高き者の預言者(=神から遣わされた預言者)と呼ばれるであろう。主の(=キリストの)みまえに先立って行き、その道を備え(=キリストによる宣教を人々にとどきやすくし(イザヤ40:3、マラキ3:1))、罪のゆるしによる救を(=罪をあがなうことでもたらされるキリストによる救いを)その民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深い(=一方的な恵みである)みこころによる。また、そのあわれみによって、日の光(=これは曙(あけぼの)の光で、救いをもたらすイエスキリストを指しています)が上から(=天から)わたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を(=悪魔の支配下にあって、罪がもたらす死に支配されていた者を)照し(イザヤ9:2)、わたしたちの足を平和の道へ(=神がともにいてくださる信仰の道へ)導くであろう」。幼な子は成長し、その霊も強くなり(=神がともにあって霊的に強くされて)、そしてイスラエルに(=神の民であるイスラエルに)現れる日まで、荒野(あらの=ユダヤ地方の死海周辺の荒れた土地)にいた』

 

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(神の預言で成就しないものはありません。救い主であるキリストの到来も旧約聖書のいたるところに書かれていますが、キリストの先駆者となるヨハネについても預言がされていました。そしていまヨハネが生まれ、いよいよ神のご計画が大きく動こうとしているのです。どうか一人でも多くの方が、キリストを信じますように。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします)