アマトトの不思議日記

私が今まで経験した精神世界のお話です。

プレアデス人サーシャへの4つの質問

2008-04-04 16:08:12 | Weblog
去年の11月25日、リサ・ロイヤルのセミナーがあったので行ってきました。

リサは、「プリズム・オブ・リラ」などの作者でプレアデス人サーシャや集合意識ジャーメインをチャネリングしている人です。

今回セミナーではチャネリングでかかってきているプレアデス人のサーシャに直接話しかけられるというもので、私は4つの質問をしてみました。

リサが壇上で瞑想状態に入りしばらくすると、サーシャが降りてきたようで、それまでとは全く違った声のトーンで話し始めました。

サーシャが言うにはこの2012年あたりをターニングポイントとして、地球人は現在の第3密度の状態から第4密度へ徐々に移行して行くとのこと。

現在プレアデス人は第4密度の状態にあり、これが今後地球人の移り行く姿であるとの事。

質問1、人類が今後なって行くという第4密度のプレアデス人の実相、どのような状態なのかを教えてください。

サーシャの答え。
肉体はあるのですが、現在の人類よりも希薄な状態。細胞がより光を取り入れて、骨などは軟骨のように柔らかくなっている。

食事はプラーナが主体で物質的なものはジュース状のものだけ。それもあまり取らない。プラーナは呼吸により体に取り入れる。彼女(サーシャ)の家には瞑想室があり、天井の一部は透明なものでできており、夜空の星が見えるようになっている。

質問2、このアセンションといわれるものは、それを通過しようと意識して向かってるものにだけおきるのでしょうか。それとも何も知らない人にもおきるのでしょうか。

サーシャの答え
今回の人類の第3密度から第4密度への以降は全ての人に等しくおきます。それは200年~300年かけて徐々に変わって行くでしょう。
ただ、その変化をスムーズに受け入れるための心身のエクスサイズは必要でしょう。

質問3、お話を聞いてると、アセンションの最終目的地は、過去、ヨーガ、ヒンズー教、仏教などが目指してきたエンライトメントやリアライゼーションの状態と同じではないかと思うのですが。

サーシャの答え
いい質問です。まさにその通りです。
ただエンライトメントの状態は第4密度よりさらに上のレベルの第7の意識状態で肉体はなく、光の状態です。グループマトリックス意識といえばいいのでしょうか。
この状態に第3密度からグループアセンションしたのがベガ星人たちでした。ただ、私は彼らに会った事がありません。

質問4、サーシャはクンダリニーというエネルギーをご存知ですか。現在の地球、特に私の周りでは最近クンダリニーが覚醒する人が増えている気がするのですが、これはアセンションと関係してるのですか。

サーシャの答え
はい、関係してます。現在地球にはアセンションを促すよう、ほんとに多くのエネルギーが注がれています。それはどんどん強くなっています。一部のエネルギーに敏感な人はそれに反応してクンダリニーが覚醒するようです。

と、以上のような内容でした。リサにサーシャが降りてるとき直接話しかけると、非常に強いエネルギーを感じました。一緒に行った友人はそのエネルギーでクラッと来たといってました。

今、巷でアセンションと言われてるのはポールシフトが起きるとか、フォトンベルトに入って、4次元または5次元世界に移行するとか様々ですが、今回のサーシャのずばっとした回答にはとても合理的な面があり、納得するところがありました。

特にアセンションを世界の次元上昇と言わずに、我々の体が第3密度から第4密度へ移行すると言うのは、道教の陽神やチベット密教ゾクチェンの虹の身体などの本を読む私には想像の範囲内に収まるので妙になるほどと思ってしまいました。

そして最終目的地はヨーガ、仏教、ヒンズー教のそれと同じだと言う事が、自分が今までやってきた事でよかったのだという安心感にもつながりました。

つまりアセンションがあろうがなかろうがやる事は同じ。

ただひたすら最終目的地を目指すと言う事でよいのだと思いました。

セミナーの最後、帰ろうとするリサ・ロイヤルに個人的な質問をしてみました。

「今年の5月に伊勢外宮に行って、豊受大神(とようけのおおみかみ)からもっとチャネリングの技術を磨きなさいと言われました。そのためにはチャネラーの人に会うと良いとの事。というわけで何かアドバイスはありませんか?」

と尋ねると、リサは、

「長く使われてない水道の蛇口をひねると最初は汚い水が出ます。それをずっと出し続け、きれいになったら、あとは練習するだけです」

リサは微笑みながら、「プラクティス、プラクティス、プラクティス」と3回言いました。

私はこれもなるほどと思いました。

彼女の誠実な人柄が印象的でした。

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ハイアーセルフが禁酒の勧め

2008-04-03 19:07:22 | Weblog
この前のチャネリングセミナーでハイアーセルフは何度かお酒を止めなさいとのメッセージ。

でも私には全くその気は無い。

やっとそのセミナーが終わり、ビールを飲みながらテレビをみていました。

するといつの間にか眠ってしまい、椅子から転げ落ちて、パソコンラックの足に、しこたま頭をブチアテてしまいました。

痛いです。

ちょっと擦り傷。

いままでどんなに酔ってもこんなことはありませんでした。

これってやっぱり酒止めろってことなのかなぁ。

ハイアーセルフに聞くと、もう酔ったとき、あなたを守護しませんとのこと。

こわいよ~~~~~。

ハイアーセルフさんもうちょっと待ってネ。

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クンダリニーで大失敗

2008-04-02 05:53:17 | Weblog
クンダリニーの覚醒・・・スピリチュアルな事柄の中でこれほど人を悩ませるものも、そうないのではないでしょうか。

覚醒前は覚醒に憧れ、覚醒後はそのエネルギーに翻弄される・・・。

ゴーピクリシュナが書いた「クンダリニー」の中で彼は死にそうになりながらも、やがて困難を乗り越え、至福を経験していますね。
ギリシャ語で「クンダリニー」は「悲劇」の語源だそうです。それを知ったとき、私はなるほどと納得しました。
 
 私がクンダリニーを覚醒させたのは大分まえのことですが、突然、ムーラダーラチャクラのあたりから、強烈なエネルギーが上がり、頭頂のサハスラーラまで達しました。

そのエネルギーは自分ではコントロールできず、勝手にガーッと上がっていき、目の前に真っ白な光が見えました。

 クンダリニーが各チャクラを貫いていくと、そこから八方に広がる細かいナーディにエネルギーが通っていき、今まで何十年とふさがれていたところを浄化していくようで痛くてたまりません。

それがスヴァジスターナ、マニプーラ,アナハタと下から順々に起こっていくのです。
 
普通、腹痛や筋肉痛などは休んだり、薬を飲めば回復するのに、この痛みは全く引くことがありません。

確か丸1日半位、寝っころがって痛みに耐えていたように思います。

こうして私はクンダリニーの真の覚醒を終え(覚醒には2段階ある)、自分の体にそのエネルギーが満ちると、様々な面で前とは全く違う体になったと感じました。

当時の私は自分のヨーガ行法によってクンダリニーを上げたと思っていたのですが、その後の経緯を考えると、今では何か上の存在の導きによるものだと思うようになりました。(その後、神々から我々が行なった事であるとのメッセージを受けました)
 
さてこのエネルギーが活動し始めると、様々なことが出来るようになります。

そのひとつに他人のクンダリニーを覚醒させるというのがあります。

そのころの私は求めてくる人があると、その人のクンダリニーを覚醒させていました。

それがだんだん拡がり、グループが出来るようになりました。

このエネルギーが覚醒すると、瞑想が深まったり、光を見たり、エネルギッシュになったり、願望成就するなど、良い面もあるのですが、今までの汚れが急激に出てくるという特徴があります。

過去から現在に至るまでのカルマを一気に浄化するのです。

ヨーガをやっているとよく好転反応として、風邪を引いたり、熱が出たりなどありますが、この場合はもっと強烈で怪我をしたり激情が爆発するなど一見すると状態が悪くなったように見えることがあります。

無論、最初によくナーディを浄化しておけばそんなことは無いのですが、何度警告しても安易に考える人もいて、とんでもないことが起こることがあるのです。

そうするとそのとんでもないことが私に跳ね返ってきます。

本来その人のカルマせいで起こってる事なのに私のせいということになってしまうのです。

私はこういう事をいつも無償の奉仕で行なっていますが、相手からはいわれない怒りをぶつけられたり、恨まれたりして、最初は良くても最終的には人間関係がガチャガチャになったりしてしまいました。

そして、どうしようもなくなり、結局そのような事を止めてしまいました。

なぜだろう、何でこうなるんだろうという思いでした。

その後私は「ラーマクリシュナの福音」という本を読み、次のような一節を見つけました。

「人のクンダリニーを覚醒させるものは、その人のカルマを受けなければならない。」

・・・まさにそのようなことだったのです。目からウロコでした。私は知らなすぎました。

人のクンダリニーを上げた場合その人のカルマを受ける。
私は全く知りませんでした。

安易に人のクンダリニーを上げてはいけないということだったのです。これが第一の失敗でした。

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神のエネルギー

2008-04-01 01:01:29 | Weblog
久々にクンダリニーのエネルギーが体全体に満ち始めて、気持ちいいなぁーという状態が何日か続いたら、浄化が起き始めたようで、喉痛、鼻水とひどい状態になってしまいました。

まあ、こんなことは今まで何回もあったので、そのうちおさまるやぁ、ぐらいにしか考えていたのですが、寝ていてあまりに喉が痛いので、そうだと思い神のエネルギーを使おうと思いました。

例によって、床に付き、半眠状態になると、汎神論的な神のエネルギーを呼び起こします。

この神様は「全て」とか「始めもなく終わりもなく」とかヒンズーでは絶対神とか、言われてる、宇宙そのもの、全ては神であるというその存在で、人格神ではありません。

私はこのことを「ラーマクリシュナの福音」という彼の弟子のマヘンドラナートが書いた本で学びました。

この神のエネルギーはほんとにお勧めで人格神ではないので個性がありません。


ヨガナンダも言ってますがヒーリング効果抜群で体の痛みや故障を治してくれます。

私は筋肉痛があるときもよくこのエネルギーを使います。

以前は頭頂から神を思念し、エネルギーを呼び込み痛いところまで持って行ってましたが、考えてみれば我々も本来全て神であるなら、ほしいところにそのエネルギーを発生させることができるのではと考えました。

やってみると結構簡単に、好きなところにそのエネルギーを発生させることができて、これはタダだし、気持ちいいし、なんと便利なんだと思いました。(神様、もちろん感謝してますよ!)

そういうわけで、喉の痛いところに神のエネルギーを発生させるとだんだん痛みが消えていきます。
クンダリニーのエネルギーや単なる気のエネルギーより断然気持ちがいいです。

これはほんとにお勧めですよ(^_^)

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天使の歌声とらせんの光

2008-03-29 05:12:54 | Weblog
これはある年の暮れの話です。私の不思議体験の中でも変わり種です。

夜中熟睡していると、突然何の前触れもなく、上から強烈ならせん状の光が降りてきました。

その光は白銀色で割りと太く、強い力で私の体全体をつつみました。寝ている私から見ると反時計回りのらせん状で全く経験したことがありませんでした。

何なのだこれは!と思っていると、瞬間的に私は金縛りになり、、その光に急に引っ張られました。

「うわぁ」と思うと、私の幽体が抜けてしまい、そのままぐるぐるっとらせんの光に引っ張られるように、上へと持ち上げられました。

こんな幽体離脱や体からの抜け方は初めてだし、自分の意思ではありませんでした。

そのままどんどん引っ張り上げられ、宇宙空間まで飛んで行きました。

するとそこには白い服を着た黒い髪の美しい女の人がいました。

その女性は私に微笑みかけており、バックにきれいなソプラノの歌声が聞こえています。

それはまさに天使の歌声といえる、ほんとに純粋なきれいな合唱でした。

よく聞くと「ハッピーニューイヤーのメッセージ」と繰り返し歌っています。

この旋律は今でも覚えていて、歌うことが出来ますが、私は起こっている事態がつかめず、その女性にしばらく見入っていました。

そして、初めて歌が気になり「ハッピーニューイヤーのメッセージ・・・ん?」と思うと今度はストーンと自分の体に戻ってしまいました。

おそらく時間的には10分か15分のことだったと思います。

それまでいろいろな幽体離脱を経験していますが、これはそれまでのとは全く別物でした。

白銀のらせんの光を見たのも、あんな歌声を聴いたのも初めてでした。

戻ってきたとき布団の上に起き上がり、はぁはぁと息が速く、落ち着くまで時間がかかりました。

さて私はその後「ハッピーニューイヤーのメッセージ」と言うくらいだから、きっと良いことがあるのだろうと次の年に期待していました。

しかし、特にたいしたこともなく1年が過ぎてしまいました。

ただ、ひとつだけこういう事がありました。

それは私の心の大きな変化です。

生きてきて、子供の頃から引っかかっていた心のある事がガサっとなくなりました。

つまりある部分性格も変わってしまいました。

今思うに、あの宇宙に引っ張り上げるという大きな演出は、この心の変化の事を示唆していたのではと考えるようになりました。

もしそうであるなら、あのようにして教えていただいた存在には大いに感謝ですね。

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天使エマニュエルだったのかな?

2008-03-27 02:37:44 | Weblog
ある晩、またいつものように、寝ながら神様や天使ミカエルやガブリエルをお呼びして、ちょっとだけお話してました。

その後ずっと天使を意識していると突然。「僕は、エマニュエルです。」という存在がやってきました。純粋な子供っぽい声が心の中に響きました。

そして、あることをするというのです。

それをお願いすると、エネルギーが体の中に入ってきて、しばらく体中を駆け回っていました。
そのまま寝入ってしまったのですが、突然、ドカーンと体の中で何かが爆発しました。

無論、肉体的に爆発したわけでは無いのですが、自分の感覚では頭頂のサハスラーラチャクラあたりが破裂したように感じました。

そして、そのあたりに圧力が加わり、もわもわした状態が続きました。

私はエマニュエルという天使?の名前を聞いたことがなかったので、変なものだったら困ると思い、次の日紀伊国屋書店に行って調べてみました。

ドリーン・バーチューの本には出てなくて、ほかの本にも見つかりません。

天使じゃなかったのかなぁと思っていると「天使の辞典・・」という声が聞こえました。

えっ?と思って、振り向くと書店の店員が顧客と電話で話しいました。

誰かが天使に関する本の事を店員に電話で聞いているようです。その中で店員が本のタイトル名を読み上げていたのです。

そして、そのカウンターには3冊の天使に関する本がおいてありました。

私は直感であの本の中にエマニュエルのことが出ているに違いないと思い、結局その中の一冊を買ってきちゃいました。

案の定出ていました。

Emmanuel:「神は我らとともにの意」天使の名前とあります。

私の感じでは純粋な少年のような雰囲気でした。この天使さんが来られたのでしょうか・・・?

どうも最近天使好いている気がしますね(^^♪
ドリーンの本ばかり読んでいるからでしょうか(・・?

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不動明王と節分の初交信

2008-03-26 03:38:15 | Weblog
去年の節分、高輪にある高野山真言宗東京別院の護摩焚きに参加した時の話です。

AM11時からなので30分前に行ったら、私のほかに2人しか来ていませんでした。もっと多く人がいると思ったのに拍子抜けしました。

私は暇なので瞑目し、中央の大日如来の右横に座す不動明王に意識を向けました。

「不動明王様」と話しかけると「うむ」と答えます。

・・・私はそれ以上の会話をちょっと躊躇しました。声の感じが豊受大神にそっくりだったからです。

もう一度不動明王様ですかと確認しても同じように答えるので、まぁいいやと思って会話し始めました。

「参拝者の人が少なくて、おさびしいですね」というと、

「人の多い少ないより、聖なる空間を保つことのほうが重要じゃ」とおっしゃいます。

そんなものなのかなぁと思いながら、その後もいろいろお話しました。

でも、大変失礼ながら、いまいちこれが本当に不動明王なのか確信がもてません。
そこで今度は中央の大日如来に意識を向け、話しかけました。

すると、大日如来の口調はとてもゆっくりで重く分厚い、今までに聞いたことのない神仏の声でした。

どうも話しにくいので、また不動明王に再び話しかけました。

何か私の知らないことを教えてくださいというと、

「五智如来が○○する」と言います。

同時に「五智如来」の文字も浮かびました。

「ごちにょらい?・・・」

「・・・・五仏のことかなぁ?」

私は五智如来というのが、なんだかはっきりとはわかりませんでした。聞いたことあるような、ないような・・・。

その後、結局参拝者が10人ぐらいが集まり、お護摩が始まりました。

そして、不動明王真言を唱える段になり、皆とともに私も唱え始めました。

途中から印も結んだほうがいいかなと思ったので印を結びましたが、ほかにやってる人も見えず、恥ずかしいので手を下にして隠してやってました。

すると「手を上に持ってきなさい」との不動明王の言葉。
迷いましたが手を胸の前にあげ、印を結ぶと、「それでよし」といいます。

そうしたらサーっとしたエネルギーが上から降りてきました。

体を包んで気持ちが良いです。

そして、何日か前に知人から移ってきた右肩の未浄化霊が、私の体を蹴飛ばすように、ビシッと言う感覚がして離れていきました。

帰ってから早速、五智如来を検索してみました。ありました。

私の知っている金剛界五仏とはちがい、大日・阿閃・宝生・阿弥陀・釈迦の5体のことでした。

これは知らなかったです。

うーむ、ということはやっぱりあれは不動明王だったのかなぁ・・という感じです。
そうであればありがたいことですね(^_^)

(その後の調べでは、五智如来を金剛界五仏と同じ大日・阿閃・宝生・阿弥陀・不空成就とするところもあるようです)

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アストラル界の神殿で

2008-03-25 01:42:54 | Weblog
ある晩、その日もまた幽体離脱がおこり、私(幽体)は起き上がりました。

いつもそうするのですが、窓から外へ飛び立つ前に一度確認のため壁を抜けてみます。そのときの自分の体が幽体であるかどうか確認するためです。

そうしないと、私の今住んでいるマンションは11階なので、もし肉体の状態だったら当然宙を飛べずに落ちて死んでしまうからです。

それほどリアルで現実の肉体と幽体になってる自分がと見分けがつかないときがあるのです。

私は窓から飛び立ち、しばらく町の上空を飛んで行き、山々や湖のある、きれいなところに着きました。

そこで私は地面に降り立ち「そうだ、今日はここで瞑想してみよう」と思い、蓮華座を組み、マントラを唱え始めました。

以前はその世界(アストラル界)で唱えられるのはオーム、ソーハムなどの短いマントラだけでした。
意識が変性状態なので長いものが覚えられなかったのです。

でもこの頃は慣れてきて長い光明真言まで唱えられるようになっていました。

これはマントラがやっと潜在意識まで染み込んできたからだと思います。
自分の潜在意識とアストラル界は非常に関連があります。

もし、これを読んで幽体離脱を何度か経験している方がいたら、このアストラル界でのマントラ瞑想をお勧めします。

世界が劇的に変化していきます。飛翔力が高まり、地獄みたいなところに落ちても・・・私は何度も落っこちたのですが(T_T)・・マントラの力で結構戻れます。

ということは死んだ後もマントラを唱えられれば有効だ、ということになりますが、きっと・・・。

まあ、チベットの死者の書にも書いてありましたから・・。(ハハ)

そのときは、唱え始めると空が明るく輝き始め、その世界が変わり始めました。

うおー、すごい!と思っていると、山の中腹に神殿というか寺院のような建物が現れました。

いままでこの世界で神殿や寺院など見たことも無かった私は、すぐさま上って行き、その中に入っていきました。

中は誰もおらず、それほど広くありません。

ご本尊か、ご神体の入っている中央の祭壇があり、その扉は閉まっていました。

しばらくすると男の人が出てきたので、私はその人にご本尊が見たいと頼みました。
自分のアストラル界にある神殿のご本尊が、どの神仏なのか、興味津々だったのです。
すると、男は扉を開けてくれました。
そこにあったのは、なんとガネーシャの像でした。(よくインド料理店にある頭部が象の神様)

意外でした。

ガネーシャはシヴァ神の息子で日本では聖天様として知られています。

でも、いままで私はそれほど縁があるとは思っていませんでした。マントラも知らないし、ほとんど祈ったこともありません。

なぜなのか今もって分かりません。なんか私に関係しているのでしょうか。
その後、男は健康や生活のことなどのメッセージをくれました。

それはことごとく当たっていたのが後にわかりましたが、私は肉体に戻りました。

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大神神社の神様と初交信

2008-03-19 20:17:05 | Weblog
暮れに一泊で伊勢神宮と奈良の大神神社に行ってきました。

以前から天気はどうかとハイアーセルフに聞いていましたが、答えは「晴れ」。

ところが、出発するとき晴れていたのに、名古屋あたりから雪が降り出しました。

電車の中から見ていると鈴鹿あたりではひどい降りで、積雪は10cmぐらいになっています。

これは外れたかなと思っていたら、伊勢に着くと、きれいな青空に変わり、ほっとしました。


外宮では豊受大神とお話。仕事や生活諸事に関する示唆、自分の回りの人たちのことなどのメッセージでした。
その間、額のアージーナーチャクラに強い圧力を感じました。
この前のように、また印を見せてもらえますか、とお願いすると「やってみよう」との答え。
その後ちゃんと印を見せていただきました。

内宮では天照大神とお話。主にこれからの自分のこと、今引っかかっている自分の考え方に対する指摘などでした。

その晩は鳥羽に泊まりました。
次の日の明け方、伊勢の神様の強いエネルギーが上から差してきて、寝ている私の体を満たしてくれます。

気持ちいいなぁと思っていると、天照大神が「大物主命が来ます」と言います。

ヘーっ?と思っていると経験したことの無いエネルギーが体全体を包みます。そしてしだいに体の中に浸透していきました。
それが何といえばいいか・・フニャーとなるような快感というか、ポーッと少し酔ったような感じになるのです。
「大物主命ですか」と聞くと「そうじゃ」との答え。初めていろいろなお話をさせていただきました。

内容はやはりこれからの自分のこと,神性の表現についてなどでしたが、その間ずっと、その酔うようなヴァイブレーションに包まれたままでした。
大神神社の神様は医薬と同時にお酒の神様です。三輪の杉玉はよく造り酒屋の店先に吊ってありますよね。だから酔ったような感じになるのかなぁなんて勝手に解釈しちゃいました。

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伊勢神宮で雨を止めてしまうこと

2008-03-18 02:35:38 | Weblog
11月6日に伊勢に一緒に行った知人のAさんの経過報告です。
Aさんはお孫さんをある事情があって引き取ることになり、長く二人で暮らしていたのですが、孫が高校生になるとだんだんいさかいが増え悩んでいました。
自分が会社も経営して忙しいうえにさらに面倒を見なくてはならず、どうしようもないところまで追い込まれていて、私と話しているうちに伊勢に行くことになったのです。

そして一月半が経過して、結局お互いに離れて暮らすことになり。
お孫さんは一人でアパートを借り、円満に出て行ったそうです。
無論、経済的にはAさんが面倒を見続けるわけですが、とにかく心の悩みが取れたといって、非常に喜んでいました。おまけに会社も好調になったようです。

さてAさんを伊勢の内宮に案内したときです。
最初は晴れていたのですが、参道を歩くうちに雨が降ってきました。

外宮では晴れていたので二人とも傘を持っていませんでした。

そのうちに雨足はだんだん強くなり、ザーザー降りになってきました。

私は「やっぱりね」と思いました。
実はこれはある意味、一種の浄化なのです。 

私の経験では体を構成する5大ファクター(地、水、火、風、空)のうち、水のファクターが汚れてる人(例えばお酒ばっかり飲んでる人、・・って私か?)がはじめて伊勢に行くと、たいてい雨が降るのです。
Aさんも無類のお酒好き。だからさもありなんと思ったのです。

とはいえAさんもかなりの高齢、困った私は天照大神に「神様、この雨を止めてください」とお願いしました。

すると「わかった」の一言。

私たちは砂利を敷き詰めた参道を正殿を目指して歩き続けました。ところが雨はいっこうに止まず、ついに正殿に到着してしまいました。
そこには小さな社務所があり、神職の方に特別参宮章というカードを提示すると、一般の方では入れない御垣内(みかきうち)の中まで神主が案内してくれます。
しかもこのカードはランクがあって、その色により、御垣内のどこまで入れるかが決まっています。
わたしのカードは一番奥まで入れるもので、それを提示しました。
雨はまだ降りつづいています。「おかしいなぁ」と思いつつ、しかたなく傘も借りました。
すると神主が「本日は雨なので手前の軒下で参拝を願います」というのです。
わたしはエーと不満そうな顔で黙っていました。
すると「濡れてもいいなら奥までご案内いたします。但し、拝礼のときに傘はさせませんよ」と言います。
私はそれで結構ですと言い、二人は先導する神主の後をゆっくり付いていきました。
雨はひどい降りで貸してくれた番傘を容赦なく打ち付けます。
ところが御垣内の中へ入る門をくぐったときです。急激に雨足が弱くなり、傘をおろして拝礼する頃にはほとんど霧雨か止んだ状態になっていました。

私は2礼2拍手1礼の参拝をし「ああ、神様はちゃんと聞いてくださった」と、その御礼を述べました。
そして拝礼を済ませ、番傘をさすとまたザーザーと振ってきたのです。
その後、そこで傘を返した私たちはかなり濡れながら参道を戻りました。

しかしその数日たったとき、・・と、ここからが今日の本題なのです・・あるヨーギーのことを書いた文章を見つけました。


かいつまんで話すと、そのヨーギーは世話になっている村人たちの村でお祭りがあるというので参加したら、雨が降ってきたそうです。とても祭りどころではないどしゃ降りになったため、日ごろの恩義を返そうと、そのヨーギーは神通力を使い、雨を止めてしまったそうです。そのおかげで祭りは再開したのですが、突然いかにも立派ななりをした聖者が怒鳴り込んできたそうです。
「さっきの雨を止めたのはどいつだ! お前か!」といってそのヨーギーを怒鳴りつけたのです。
聖者曰く「隣の村ではひどい日照で何十日も雨が降らず、作物が枯れかかり、やっとの思いでわしが雨を降らせたのだぞ。それをお前は祭りが出来ないなどという理由で止めおって!」
そういわれたヨーギーはひどく反省したそうです。雨が降ることによって作物が育ち、生命が潤う。それを人のためとはいえ勝手な都合で止めた自分は浅はかだったと。
そしてヨーギーはその力を封印してしまったそうです。

私はこの文章を読みドキッとしました。

まさに自分がしたことと同じです。
実は、あの伊勢でお願いしたとき「わかった」とおっしゃったのに、なぜすぐに雨は止まなかったのだろう、なぜその後も振り続けたのだろうと思っていたのです。
雨が降るのには雨が降る理由がある。雨によって生命が潤う。そんな単純なことを忘れ、自分の都合でそれをいじった自分は愚かでした。まさに神様はこのヨーギーの話を私に読ませ、それを悟らせたのだと思います。

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