zuci


ボクたちの言葉は
そのひとつひとつに命があって、
いろんな場所に飛んでゆく。

それは思いがけないところに
届くことだってある。

形がないからこそ尊くて、
大切にしなくてはいけないものだとおもう。

一緒に旅に出かけちゃうような
嬉しい言葉を今日もうたおうね。
久々の更新は、ホームページの宣伝です。
ひょんなことからうまれたものです。
“ありのままの日常”を生きる僕たちのお話です。



大海一粟-自分自身の記憶と出会う場所-


【zuci~シュチ~ オフィシャルサイト】
http://zuci36.jimdo.com/

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詳細はホームページに紹介ページ・リンクがあります。

一度、のぞいてみてください(^_^)
写経したことありますか?
僕はありません。

写経でメジャーなのは般若心経ですよね。

そのはじめに『観自在菩薩』とあります。
小耳にはさんだ話ではこれは、
『自らに在る菩薩を観る』という意味とのこと。

ふむふむ、なるほど、そうですよね。

今まででこの感覚を味わった言葉は、

『正法眼蔵』
『万法帰一』
『眼横鼻直』

ですね。

ハッとしちゃうくらいの表現に僕は
ただただ楽しくなるばかりでございます。
日、3月25日は普通の日。
しかし、私にとっては大きな意味を持つ日だ。

昨年の3月1日に衝撃的な出逢いがあり、
その10日後にはあらゆるものが襲いかかってきた。

その中で迎えた3月25日。
あの日のことは断片的にしか覚えていないけれど、
全く違う場所に来てしまったという感じはなかった。
かといって、心地が良いかと言われると微妙なところでもあるが。。。

『御縁』なんて言葉があるけれども、
全てのことが『御縁』だと思えばそうだし、『偶然』で片付ければそうだろう。

でも、私は『御縁』だと感じている方が好きだ。
というよりも、そうであると思っている。

だから、素敵な『御縁』に感謝することを忘れたくないし、
それを言葉や文にすることで、多少形式的に見えてしまっても伝えたいと思う。
際にお会いするのもそうだけど、
今の時代はネット上での出逢いも多い。

だからこそ、感謝の気持ちを今一度想う事が重要な気がする。

皆様と素敵な御縁で結ばれたことを心より感謝申し上げます。
ありがとう。
食住の食の話。生涯、食べる量が決まっているという話を聴いたことがある。
生涯『100』食べられるとしたら、1年に『1』食べていたら、100年は生きられる。
(生涯食べられる量というより、食べなくてはいけない量という感覚。食べ切るまで死ねない。)

1年に『2』食べていたら、その半分しか生きられない。
(食べられる量を超えることはできない。)
んな話を聴いてしまうと、間食もできなくなってきた。
こんな話を聴いてしまうと、ラーメン屋で中盛はできなくなってきた。
こんな話を聴いてしまうと、毎食ちょこっと量を減らしたくなってきた。
というか、ラーメンはなるべく行くのをやめておこう。うん。
かし、満足度は下げたくないから、食べ方を追求しだす。
よく噛んで味を楽しもう。ご飯が口の中でおかゆになるまで噛もうと思いだす。
そうなってくると、外食したとき、大食いの人は大抵早食いであることに気付くし、
量は多くなくとも咀嚼の時間がとても短い人が多いことにも気付く。

満足度が、必要最低限の量で感じられるなら、
量でしか満足を得られなかった時のような量は必要なくなるので、
クオリティの高いものを摂取できるようになる。
(安いものをたくさん ≒ 高いものを必要最低限)
べ方を変えてから、肥満体型からさらに離れた私は、
あながちこれは間違いではないような気がしてきた。

満足できるラインの最低限(=身体への負担が最小限)を探しながら、
一気に変えるのではなく、徐々に少しずつ着実に変えていけば、
絶対にしっくりくる量と質が見えてくるのではないかと感じています。
切な人と永く一緒にいたいから、私は楽しくリラックスして食事を楽しみたい。
選択できるものが多いに越したことはないが、
豊富にあることがハッピーであるとは限らない。

そんな衣食住の食の本当の充実への道中にいるさまよえるあおい男の話でした。