不穏から≪温・音・遠・穏・ON≫へ 〜 軌道鼓動tornado 〜


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スクナヒとサスラヒの誓約が終わり、ゲロンドの杖は塩田から温水へと継承された


我らが持つヤマトの螺旋が”勝ち”も”負け”もしない新たな領域へと導く


温水は【ON+彗】となり、新たな軌道を描き始める


危機とはなんだったのか


それは”聞き”であり、”記・紀”であった



近づこうとする2次元的欲求から



周回する3次元的欲求へと



私たちのヤマトのパルスはシフトしつつある




それが鼓動となりトルネイ動となる



不ONから神(コウ)ONへ



かものわけいかづち響き渡り



サスラヒがアヂスキへと



『白い土地からの使者』



オオヤシマの台地から



飛び立つ



シラトリ



ナガスネヒコ受け取る





ヤヌストランスミッション


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人間はひとつの役割を演じ過ぎますと、強いストレスを感じる時があります。

それと同時に全く違う自分になれる場合、強い希望を持つことができます。

新たなる自分、未知の自分、それはどうやって作るのでしょうか。

例えば、それば新しい学校への進学であったり、会社への就職であったり、結婚であったり、出世であったりします。

皆、そのような違う自分を求めて旅をしていると言っても過言ではありません。

上記のように環境を変えることによって新しい自分を発見することもできますが、内面と向き合うことで今とは違うもうひとりの自分を生み出すことも可能です。

ヤヌストランスミッションでは特に新しい自分を生み出し古い自分とのダブルスタンダードで常に自分自身をフレッシュな状態に保つことを可能にします。

それはまさに毎年私たちがお正月に身も心も新たにすることにも通じます。


ヤヌスは1月の象徴。

ネガティブデポジット④ 〜 安らかなる時間 〜


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いつもありがとうございます。返信をお待たせしている方など申し訳ありません、忘れない内に書いておきます。


子供時代は自然の中で育ちましたので、正常に循環する生態系の中で生活しませんと、心がとても息苦しいのですが、ここ15年ほどその苦しさに耐えて耐えて耐え続けてきましたので、その土のメンタリティがコンクリートのメンタリティへと移行していく内部昇華とも呼べるような脱皮を感じています。


この問題は、郊外型都市について書いた時にも触れたと思いますが、郊外型都市は、如何にも自然がたくさんあるように見えて実は生態系の質と量において、かなりコントロールされた部分があり、農薬と同じTHINKメソッドが用いられていますので、かなり苦しかったです。


そのメソッドのアルティメットな形が原発であります。


東京という都市が今でも機能し、さらなる拡大を続けられるのは上記とは全く逆の思想であり、生物学の原則に基づいた都市計画が後藤新平によって為されたからであり、逆に原発は20年ほどで破綻しました。生物学の原則に基づかない思考回路が原発だけではなくあちこちに散見されます。


そこまで哲学的テーマを国民皆が意識して初めて日本の未来が見えてきます。


ただそれを変えようにも普通の状態がどんなものであるのかを知らない人の方が多く、さらに苦しさが増したという感じだったでしょうか。


他人がその苦しさを理解できないのは普通のことなのですが、仲間や身近な人とその苦しさを共有できないのは致命的というか一番苦しい状態になりますので、神さまが見かねて私に何度かチャンスを与えてくださっているのだと思います。



もうどうでもいいや、とかいう問題ではなく、必要以上の責任を負わないというのも大切かと思うようになりました。20代の頃働いていた農業法人の社長が『持てるものには義務がある』というノブリスオブリージュのような哲学を持っていてその哲学が私も好きでしたのでずっと携えていましたが、それさえももういらないかな、と思います。DutyやObligationが何を排除し、何を生み出すかはまだこの先、ずっと考えなければならない哲学的テーマであると思います。


認めるとか認めないとか、そういう思考的な部分でもなく、都市生活を拒否していた私の古い魂が”都市生活”と”土のシャーマニズム”の共存に最終的なGOサインを出したような感覚があります。


この共存は『命のつながり』というキーワードでくくられますから、そこだけでよいのではないかと思います。


都市を否定するだけの存在ならば、私は縄文弥生の魂を持って生まれてくる必要はなかったと思いますので、自分自身でもこの存在の意味や時代精神のフローを見据えつつ、最期の時を迎える時まで結果は出せずとも準備だけはしておかなければならないと思っています。



子供の頃の記憶や匂いというのは生涯続きますので他者を理解・受容するためにはそこまでさかのぼって理解する意欲を持たなければモチベーションを維持することは難しいです。

ただそこを見据えさえすれば現実的なカルマ解除や現実的なアセンションも見えてきますので、何度でも起き上がるロードマップの作成は必要かと思います。


過去はどうであれ、同じ未来を見据えさえすれば何度でも友情は友情に還り、愛情は愛情に還ることと思います。


自分が理解されることは他者を理解しようとする行為の裏側にあるものです。その鏡の世界でもし自分の存在価値をうまく見出せないのならばそれは悲しい事です。ネガティブデポジットではそのようなクラウド(雲)を晴らすお手伝いをさせて頂きます。





ネガティブデポジット③ 〜 幸福論 〜


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私は朝、目覚めること自体に幸福を感じるので、それ以上の幸福を求める人の気持ちを理解しようと思っても理解出来ていなかったと思います。


幸福とは一体何でしょうか?


それは不幸と呼べる体験を通過しなければ認識できない概念だと思います。


もっと苦労されている方もいるので失礼かもしれませんが、私のここ10年も一般的な感覚から客観視すれば決して幸福とは呼べない状態だったと思います。


社会的問題を解決しようと願うベクトルは常にそういう不幸のリソースになっていくと感じます。


それが苦にならなかったのは私の意識が常に to be or not to be にしか向いておらず、一般的な感覚からはかけ離れ過ぎていて、むしろ一般性を排除していたように思います。



その一般性の排除がベクトルをより先鋭化させ、解決するために行っていた活動が問題をより複雑にしていたこともあったかと思います。



穏やかな暮らしというものは誰もが求めているものであり、穏やでないさざ波のたつ暮らしはそれぞれの内にある理想の穏やかさと現実とのズレを解消しようとした時に起こります。


まさにそこに女神SOPHIA(理解)があり、他者の理想を理解しようとする意欲にこそ多聞天という愛も潜んでいるということになるかと思います。


ネガティブの方に針が振り切れてしまう原因は受容と理解の不足にあり、そこに限界が生じているのですが、それは決して悪いことではありません。


むしろ自分の限界を知る確かな指標となるでしょう。


それぞれの限界の中で助け合って生きていくというのもひとつの真実だと思います。


意識状態に上も下もなく、常に円環、水のようにぐるぐると回っています。


皆が助け合い、受容し合える環境のために微力ながら尽力できればうれしく思います。

ネガティブデポジット② 〜 愛の不足に対する渇望 〜


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心の奥底に眠る怒りや悲しみ、失望、絶望を溜め込んでいきますと心が閉ざされてしまい普通の感情表現や他者に対する普通の対応ができなくなってしまいます。


常に理不尽な反応を示す親族がいるということで話を頂きますが、その理不尽な親族を生み出しているのは、個人ではなく環境も関係しているとイメージする想像力も必要です。


なぜそういうことを言うのだろう?なぜあんなことをするのだろう?と“責める”ことは簡単です。


ですが、それを自分のこととして“請け負う”ことは難しいです。その状況に耐えに耐えて“請け負わせて頂いている”という『無限の愛の泉』に自分が到達することによってしか、その問題は解決されないのではないかと思います。


距離を置いたり、問題を一時的に見えなくすることはできますが、そのような状況が周りに出てきている方は、『無限の愛の泉』への女神転生を運命として背負っていると考えなければなりません。


私もこのカルマを20代の頃から背負わされ、私は何の問題もない家族環境親戚環境で育ちましたから、当初は“赦し”を提供することは人間として当然できますから、十全な“赦し”を導くことができましたが、数年すると、そのサイクルの中に自分も入ってしまい、その環境を客観視することが難しくなり、当事者として『無限の愛の泉』を渇望するようになりました。


その時、いつも脳裏に浮かんだのは、私が小学生の頃になくなった祖母の姿でした。


子供を8人育てて孫や親戚を合わせると百人くらいいるだろうと思われる親族中に常に愛情と気配りをしてくれていたスーパーおばあちゃんです。そのおばあちゃんの影響もあってか親族の皆が愛情深く優しい人ばかりでしたので、こういう純朴な人達が暮らす地域社会(特に田舎)を守りたいと社会活動を自然と行うようになりました。


しかし、その活動の中でもエネルギーの枯渇を感じ始め、自分が非人間的な領域に墜ちていってしまうのではないかという危うささえ感じました。


でもそうはいっても昨年のHMT巡礼で祖母がなくなった最後の場所近くへ行くことができましたし、全てはつながっていると確信しています。


一体、祖母だったらどうしたのだろう?愛の不足が起こった時、迷った時は考えます。


期待や過去の投影はしないだろうと思考で抑えていた20代、でもそれが奥底に眠っていたと気付いた30代、そしてその魂の刻印さえも日々の実践と高い宗教意識で乗り越えていけるだろうと確信するアラウンドフォーティ、、


北欧のエッダ散文詩ケルティック神話、古代ギリシャ先住民族神話、古代大和ともつながる重厚で深い女神意識

ネガティブ デポジット① 〜 脱パターン 〜


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過去に理不尽だろうと感じられる体験をして、その体験が自分のネガティブを引き出している場合、色んなものを曇らせます。

正常な判断ができず、○○はこうだから、、という前提付きで人や事を判断するようになります。

○○さんは○○のような人なんだね〜というのは通常、人が人を知ろうとする時の一般的な認知方式です。

ただそこで『考えられない理不尽さ』、『許せないほどの異常さ』を認識してしまった場合、ネガティブデポジットは構築されます。

それを解消するために他者を改善するということは通常、誰もほとんど行わないのでそのネガティブデポジットは徐々に蓄積されていきます。


その量が多くなりますと通常の人間生活というのができにくくなります。

“○○はどうせ○○だから”という認知パターンがネガティブな方向で構築されてしまった場合、その対象の人や物に対して感情表現を出来なくなったり、心を開くことが出来なくなったりします。

これは激しい怒りや憎しみを伴わないパターンも多いので見過ごされがちですが、このネガティブデポジットは日々の思考パターンにかなり深刻な影を落とします。

ネガティブデポジットセッションでは、日常生活に影を落としているだろうと思われるネガティブデポジットを発見し、あらゆる事物に純粋な感情表現ができるようデポジット解消をしていきます。

限度を超えた異常さや理不尽さに対して、それが一過性のものであれば赦すことはできますが、それを継続して続けていかなくてはならない会社や親族内の人間関係について赦し続けることはなかなか難しくなります。


私も過去、このようなことで辛い体験をしておりますから皆さんとご一緒にこのデポジット解消に向けて努力していきたいと思います。



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信頼という問題


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人間の心の中には愛されたいという欲求があり、それが満たされないと不安や不信を生み出してしまいます。

それを積極的に解消するために信頼するという行為があります。


信頼するという行為の中には、不安だけれども信頼したいというパターンと無意識的に信頼しているというパターンがあります。


前者は願望に近く後者はむしろ過去の追体験というか反復でしょう。


文頭からの流れを見ていきますと愛されたいという欲求に対する不安感は不安だけれども信頼したいというパターンに行き着き、それが裏切られると信頼できないというトラウマが刻まれます。


従って愛されたいと欲す対象者が裏切り行為を繰り返せばその心は裏切られた体験とその苦しみを切り離そうとします。これは肉体的な痛みというよりもメモリ領域のオーバーフローなのかもしれません。




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