あまりにもお久しぶりすぎて、どのように記事を書くかすら忘れつつある結喜でございます。


 2014年から1年1年ごとに何かしらの特定のテーマを決めてご供養を行っているのですが、


  • 昨年2022年前半は「児童疎開船 対馬丸」・「沖縄戦」⇒戦没者・戦災犠牲者の鎮魂供養、
  • 2022年後半〜2023年前半は桓武平氏一門の「武家平氏(千葉氏)⇒地縁・法縁因縁」・「公家平氏(伊勢平家)⇒血縁因縁」の追善・鎮魂供養。

 そして2023年6月からは、

【古墳時代】邪馬台国とヤマト王権

【飛鳥時代】「景行天皇」「日本武尊」「神功皇后」

【奈良時代】「天智天皇」「天武天皇」


 ここまでの時代、人物が伊勢神宮や伊勢斎宮成立に大きく関わってきます。


 ヤマト王権成立にあたり必ず邪馬台国も出てくるのですが、その当時ヤマト政権に滅ぼされた一族やその土地の先住民であった「土蜘蛛」「熊襲」「隼人」「蝦夷」などの怨念、天皇家における兄弟間での相続問題で暗殺された歴代天皇の怨霊を鎮めるために伊勢神宮が成立されており、このような民族問題と宗教が非常に絡んで日本独自の「怨霊信仰」なるものが作られました。


 現在私はこの上代・古代・中世にあたる怨霊の鎮魂供養を目的に、新たなご供養方法を考察しております。そのためにはいくつかの条件と資格が必要で、


1.その土地(出身地)の

2.その血筋(先祖)の

3.その家系・家柄(職業)の

3つが条件が必要になってきます。


 特に古代・中世においては、何よりも地縁や血縁関係の関わりが重視されます。そのためその時代のご供養においては、それらの祖先と繋がりを持った有縁の子孫のご供養の方が無縁の霊能者や関わりを持たない僧侶や神主よりも遥かに届きます。


《ルーツ探しに必要なもの》

「先祖の出身地」「祖先の系統(苗字+家紋)」「先祖の生業(職業)」から自分のルーツがわかります。

 自分の出身地もそうですが、先祖の出身地の郷土史を読みといていくとその当時その土地で信仰されていた宗教や生活・文化などを垣間見ることができ、より深く自分の先祖との繋がりを感じることができます。同時にその土地との縁があるからこそ、歴史や考古学の専門家の方とはまた違った切り口の解釈が可能になると私は思っています。


 そのため私が今後ブログで書こうとしているご供養の内容は、上記3つを揃えているからこその解釈になり、そういった意味では「ご供養」に基づいた新解釈で日本の歴史を伝えていけるのではと考えております。




・・・と、前置きがめちゃくちゃ長くなりましたが、このような目的を果たすために情報収集している折、上記のテーマに合っためちゃくちゃタイムリーな舞台情報を得られたのでご紹介いたします。


 ちなみに私、ミュージカルなど大好きです。直近では2月13日にシルク・ドゥ・ソレイユ「アレグリア」(東京公演)を息子と一緒に観劇してきました。☺️





《今回の観劇 ミュージカル》


プロジェクト「動」プレゼンツ地域参加型ミュージカルショー



​縄文のひびき〜天の渦、地の渦、海の渦〜




《作品内容》
縄文の世界に引き込まれた少年龍弥。
そこで出会ったのは、母とそっくりな
「ヒミコ」と呼ばれる人物であった。

《第一部》
「ミュージカル「縄文のひびき」を
制作するにあたったそれぞれの想い

《第二部》
 縄文のひびきライブ

会場:コール田無西東京市用無町3-7-2


 もともとミュージカルが大好きなのですが、偶然にも現在のご供養テーマである「邪馬台国」に関する舞台でタイムリーすぎてビックリ‼️🤩

舞台情報を入手したのは7月7日
その4日後の7月11日に
チケットGETしました!!!




 
 公演は7月20日(木)、21日(金)・8月3日(木)、4日(金)の4日間になります。

 ※ 詳細は↑をご覧ください。



今回、この舞台に行きたい!と思ったキッカケは「邪馬台国 女王卑弥呼」以上に下記の2つの言葉がチラシの文章の中に含まれていたからです。



 現代では、その土地ならではのお祭りがなくなってきております。 お祭りがあるところでも、よさこいや阿波踊りが取って代わり、 地域独特のお祭りをみることが少ないです。 その上、 コロナの影響でお祭りやイベントが中止になり、 街をあげての催し物が減っております。

 そこで、この東伏見の下野谷遺跡を使った西東京市を挙げてのお祭りを制作しようと考えております。 来られる方々が、 「ああ、来てよかったな。」 「楽しいお祭りだったね。」 「こんなイベントがあったなあ。」 と言って思い出に残る、 みんなの記憶に残るような芝居、お祭り イベントを制作して参ります。

昨年10月より巡演を開始した 『縄文の響き~天の渦、地の渦、海の渦〜』 は、 そのお祭りの中心となる舞台で、 お祭りを開催した折には、 下野谷遺跡にて野外劇の形で上演を考えております。 よりたくさんの人々に、 現代に失われてきている人の心、 生きることの意味、命の尊さ、 人とのつながりの大切さを訴え、 下野谷遺跡を世界に発信していく作品です。


この文章で私がとても関心を寄せた言葉が2つあります。

1、「その土地ならでは・地域独特」

2、「お祭り」


 注目すべき点は、このミュージカルが「下野谷遺跡」にて行われることです。

 もう40年近くご供養を行っていますが、私の場合、実際に現地に行ってみないとわからないことが非常に多いです。(その土地、その土地で固有の独特の雰囲気があります。現地に行くことで文献だけだと理解できないもの・言葉で表現しにくいものが体感(感覚)を通じて理解することができます。)


私の基本テーマが「ご供養」なので、この舞台の目指しているテーマと解釈のズレや違いが出てくるかもしれませんが、何にせよこの2つのキーワードを通して私の現在の目的である「土地の因縁(地域別による鎮魂)」「お祭り🟰お祀り(怨霊・御霊会)」に関して何かしらのヒントや参考になると思っています。


 私は公演初日の7月20日にこの舞台を観劇しにいきますが、もし劇場内で見かけたらお気軽に声をかけてやって下さい。色々情報交換出来ますと幸いです。よろしくお願いいたします。☺️💦



🌿【2023年 新春開運鑑定イベント in 浅草のお知らせ】🌿

 

■ イベントのお知らせなど多くの告知がとどこおっておりましたが、皆さまからたくさんの鑑定ご要望を頂きようやく重い腰をあげてイベントの告知をさせて頂きました。

 

2023年占い初め 🎍

結喜の鑑定再復帰イベントとして開運鑑定イベントを、明日(元旦)浅草にて開催致します🔮✨✨

◆日時・・・2023年

元旦:1月1日(日)~1月3日(火)10:00〜17:00時まで

◆会場

鑑定場所:浅草西参道商店街・・・観光案内処 ふくろう屋

〒111-0032 東京都台東区浅草2丁目7−13

※ 観光案内処 ふくろう屋2Fにてお待ちしております。なお鑑定は非常に人が混む場所なので混乱を避けるために先着順にさせていただきます。ご迷惑をおかけしますがご了承願います。

【会場案内】

https://goo.gl/maps/UMjCeou4A9E2DFHb8

 

※お問い合わせは☎ 080-4228-8139までお願いします。​

 

【鑑定料金】

20分・・・3,000円(税込価格)

30分・・・5,000円(税込価格)

 

 20分の鑑定はタロットカード、オラクルカードが中心になります。今年一年の運気やバイオリズムを知りたいお客様は30分の鑑定から承っております。(占術は西洋占星術と九星気学になります。)

 

 

 長らくお待たせしてしまった結喜を応援してくださる皆様方、結喜さん、ようやく本気出すモードになりました。2023年開運イベントでぜひお会いしましょう!!🔮皆さまにお目に掛かれることを心から楽しみにしております😊

🌿​結喜より🌿

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 皆様、大変ご無沙汰しております。結喜です。

 

 2020年からコロナ禍によって対面鑑定ができなくなったり、自分の障害特性が悪化したために鑑定を数年控えておりましたが、ようやく鑑定が再開できるくらいまで自分の状況・状態が回復いたしました。(ここ数年間、なかなか心身ともに安定せず人生とは何かを何度も何度も考えた期間ですが、苦労したからこそ気づけたもの・得られたものもありました。)

 

 2022年は鑑定を控えつつも10月25日にはLINE占い占い師ランキング1位になったり、ご供養関係に関しても2014年から始めた47都道府県全国追善・鎮魂供養行脚も7年かけてようやく一段落したり、障害関係に関してもここ数年状態はどんどん悪化しつつも、悪化したからこそ自分を人体実験の材料として様々な療法を試し、実際にその効果・効能を検証したりすることができたりと、様々な分野で皆様に有益な情報や改善策を自信を持ってお伝えできるぐらいの経験を積むことができました。そのような意味では私にとっての2022年はお伝えするための下準備期間「総まとめ」の年だったと思います。

 

 キャリアに関しても2023年は占い師として鑑定歴21年目(占い歴34年)、ご供養関係に関してはついにご供養歴40年という凄まじい年数になり、我ながら一つのことをよくここまで突き詰めてきたなぁと感慨深く思っています。

 

 また息子もついに20歳になり、1月9日には成人式を迎えます。障害児ながらも健常者並みのことができるようになったのは早期療育のおかげですし、親子共々障害者ですが、早期療育や障害者就労移行支援などの訓練をしっかり受ければそれなりに社会に適応できるようになることを経験いたしました。

 当事者だからこそ、また当事者にしか伝えられない言葉や改善法等もあります。今後はできれば行政やNPO法人などとも協力しながら同じような当事者の方々の支援にも力を入れていきたいと思っております。しかしながら分野が分野なだけに私一人だけの力では難しい部分が多く、是非とも皆様からのお力添えやご協力をいただけると本当にありがたいです。

 2023年はこれまでの様々な経験や皆様にとって有益な情報をどんどん発信していく年にしていきたいと思っています。このような私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

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1944年(昭和19年)8月22日。


 沖縄の児童疎開船「対馬丸」がアメリカの潜水艦の魚雷によって悪石島付近で沈没し、乗客1700人のうち約1500人が亡くなりました。生存者は一般人168名と学童は59名。犠牲者の825人は学童でした。
 
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2014年から7年もの時間がかかった
対馬丸のご供養。
 
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今年2022年6月に
ようやく対馬丸のご供養を終えましたが
私は人生で初めて
ご供養で挫折し
限界を感じました。
 
対馬丸のご供養は
それはそれは大変なものでした。
 
想いがいくらあっても
出来ないことがたくさんありました。
能力があるないではなく、
私には供養するだけの条件がなかったのです。
 
 
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《ご供養に限界を感じた理由》

 
 1、私自身が奄美大島、琉球王国(沖縄)に地縁と血縁がない。
 
 2、そもそも日本と沖縄では文化や信仰が全く違い、同時に言語体系がまったく違ったために対馬丸の子供たちにこちらの言語が通じなかった。
 
 3、第二次葬である洗骨の風習。そして洗骨は近親者が行うことだということも全く知らなかった。
 
 
今回のご供養で一番苦労したことが
「言葉が通じない」ということです。
 
 これまで全国47都道府県でご供養をしてきたのですが、今回のように「言葉が通じない」ということは一度もなかったため現地で本当に困ってしまいました。(悪石島に行く予定でしたが天候に問題があったため、急遽奄美大島の宇検町でご供養を行いました。)
 それは奄美・沖縄県でのご供養が非常に特殊なものだったからです。もともと奄美や沖縄は琉球神道であり、ユタ・ノロといった霊媒師の方々を中心に死者との繋がりを持つ文化があります。そしてこの琉球神道。日本語じゃなく、方言(琉球語)なのです。そのため琉球神道によるご供養の本には、日本語の「和訳」が記載されております。
 
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● 私は奄美大島や沖縄の方言が使えません。音として言葉を出すことはできますがそれではご供養にならないのです。なにより奄美方言や沖縄方言(琉球語)は日本語にはない発音がたくさんあります。言語体系そのものが日本語と全く違うため、現地の方言を使える方じゃないとご供養は無理だと痛感しました。

 
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● 葬儀方法も日本とは全く違い、元々琉球王国は日本と違って風葬であり、第二次葬である「洗骨」というものが終わってから本当の意味での成仏になるという習わしがありました。洗骨は近年まで行われていたのですが、衛生上の理由から無理やり火葬になってしまったため、古来からの伝統的なご供養が難しい状態です。



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 以上のような問題を抱えながら、自分ができる範囲でのご供養を行なっていたのですが十分なご供養ができなかったため非常に消化不良状態になってしまい、私はついに周りの方々にお願いしてこの問題をなんとかできないものかと相談を持ちかけました。
 

 すると快く協力してくださる方々が大勢でてきて、

 奄美大島出身の生粋のユタであるE先生・奄美大島在住のE先生のお兄さんのTさん、そしてその関係者の皆々様。
 
 一番活躍してくれた奄美の大島タクシー運転手のNさん。(私の日本語を奄美大島方言に変換し通訳してくださいました。)奄美大島の宿泊ホテルの皆さん。
 
 沖縄県の対馬丸記念会館の受付の職員さん。

 今回悪石島には天候の都合で行けませんでしたが、奄美大島に行く前日までご協力していただきました悪石島出張所のTさんとSさん。(悪石島行きはこれまで何回かチャレンジしましたが今回もまたご縁がなくて残念でした。今はまだその時期ではないということかもしれませんが、現地できちんのご供養できる運びになったら改めて悪石島にお伺いさせていただきます。)
 
 東京に帰ってきてからは戦没者・戦死者のご供養や戦争に対しての理解を示してくださったM先生やK先生、そして沖縄との地縁・血縁が非常に深いN先生、その他多くの方々が奄美大島や沖縄(琉球王国)の戦没者・戦死者・戦災犠牲者の皆様のご供養のために動きはじめてくださっています。
 
本当に本当に
ありがとうございます。
 

 
【最後に】

 対馬丸事件や沖縄戦をはじめ、奄美や沖縄での戦没者・戦死者の方々には戦後から始まった日本語でのご供養ではなく、戦前からある奄美語、沖縄・琉球語(方言)によるご供養方法じゃないと故人は成仏できないと私は思っております。(遺族側と供養する側では、立ち位置や役割が違います。遺族側は歴史や事実をあとに続く方々へ語り伝える側。僧侶は遺族の想いを故人に届ける側。同じ発信でも関わろうとする対象者が違えば発信方法・内容が異なります。)

 
 こちら側がご供養したからといってそれが必ずしも相手に伝わるわけではない。成仏するわけではない。ということが今回の対馬丸のご供養での挫折で骨身にしみて理解できました。
 
 生きている側の人間の思い込みによる供養よりも、死者の方々が望むご供養をしてこそ、本当の意味での「思いやり」に繋がりひいては成仏に結びつくのではないかと私は思っております。

 

《一年ぶりの初仕事になります。》

 

 

    

【日時】8月19日(金)・20日(土)
お昼頃〜夕方くらいまで

 

【場所】 中谷にゃんとも(貸スペース)

【住所】 東京都台東区谷中3-14-3

 

【URL】

 

 

 

 

【アクセス】
・ 千駄木駅 5分(東京メトロ 千代田線)
・ 西日暮里駅 8分(JR山手線、都営日暮里・舎人ライナー)
・ 日暮里駅  10分(JR常磐線、京成本線)
・ 都営バス草63「千駄木三丁目」 2分

 

*  谷中銀座、よみせ通りから通り一本入った場所になります。また、よみせ通りは毎日16ー18時の間、車両通行止めになります。
*  車でお越しの場合は近くにコインパーキングはありますが駐車場はありませんのでご注意ください。


 

イベントそのものは10:00〜19:00までですが、
1. 障害者就労移行支援で訓練中だったため、一年間のブランクがある。
2. 昨年は若年性アルツハイマーを発症し、現在の鑑定の精度が不確定。

上記のような理由により、体調の状態で参加時間を決めさせていただきますので事前予約はご遠慮願います。皆様には大変ご迷惑おかけしますがご理解・ご協力いただけますと大変助かります。このような私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 


 

【鑑定について】

★ 通常、個人鑑定・出張鑑定は特別鑑定(60分コース)しか受け付けておりませんが、今回からのイベント鑑定においては通常鑑定(20分コース)からの鑑定を承ります。

【鑑定料金】

 

 鑑定料金は業界相場と同じ料金になります。基本料金は税込価格なので他店より若干お得になると思います。

 

 

20分/3000円(税込) 
30分/5000円(税込)

 

 

 TODAY'S
 
10年ぶりの個人でのイベント出店


● 私はもともと店舗に所属していたわけではなく、個人でのフリーマーケットやイベント出店から結喜の名前が全国に広がっていきました。ある意味一番本領発揮しやすい鑑定提供方法になります!

 これまで個人鑑定は所属店舗との折り合いもあり60分以上の鑑定しか受け付けなかったのですが、今後は個人で参加できるイベントのおかげで20分からの鑑定が提供できるようになります!


鑑定を受けたくても60分からの鑑定だと高すぎて申し込みできない。敷居が高すぎて行きにくい。予約取るのが面倒だ。今すぐに受けてみたい!これまで鑑定を受けてみたくても躊躇されていたお客様!!この機会にぜひご利用ください。(=^・^=)

 



《追記》
幸い若年性アルツハイマーは食事療法で相当改善し、今は現場復帰できるくらい頭が回るようになりました。 一年間鑑定そのものをお休みしていたので勘を取り戻すのに多少時間がかかると思っていますが、とはいえ占い師としては今年で鑑定歴20年目(占い歴33年目)。1日〜2日鑑定したらすぐに当時の勘が戻ってくると思っています。

●8月8日に障害者就労移行支援を終了いたしましたが、最後あたりは元々の発達障害だけではなく、二次障害としての適応障害や社会性不安障害・パニック障害が発症いたしました。障害者就労移行支援を退所してからは精神的にかなり落ち着きましたが体調には若干の不安があります。ですがそのような状態になった当事者・経験者だからこそ伝えられる言葉、教えられる解決法もあるかと思います。この一年死にそうになったことも何度も何度もありましたが、そのたびに多くの気づきが得られて、人間的成長はかなり出来ました。

 

 結果的には今回の障害者就労移行支援で一年間お休みしたおかげで、

 

  • どんなに努力してもやはり出来なかったこと。
  • 問題が起きても努力や工夫次第で解決でき、改善できたもの。
 いろんなことを気づけ、極限状態までいったからこそのビフォーアフターでの比較、これまで以上に自分がどのような人間であるかという自己分析・自己理解が深まりました。そのような意味ではこの一年間、誰にもできない経験をたくさん出来てよかったと思います。そしてまたその経験を今後のお客様や協力してくれた皆様方への恩返しとして様々な形で還元していきたいと思っております。

 

 

皆様の笑顔が私の力の源です。

 

 まだまだ至らないところも多く一生精進ですが、このような私へのご支援とご協力、皆様からのさらなるご愛顧をいただけますと本当に嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

皆さん、お久しぶりです。結喜です。
8月8日(月)、ようやく障害者就労移行支援を終えることができました。

約一年、占い師としての仕事を完全休業していましたが本格的な活動再開にあたり、少しずつ調子を整えていきます。

※ 占い師としての本格的な活動再開は8月15日〜16日頃を予定しています。

これまでたくさんご協力してくださり心から感謝しております。本当にありがとうございました。まだまだ至らないことが多い私ですが、引き続きご支援・ご協力いただけますと本当に嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 本日6月23日は沖縄戦から77年目になる「沖縄の戦没者 慰霊の日」になります
 
 私は本日、午前中から4時間ほどかけて沖縄戦の戦没者・戦災犠牲者の方々のご供養を行っておりました。

 

 

 ↑これは奄美大島に行く前に撮った画像ですが、7年間の供養でついに経本は100冊以上になりました。仏教、神道、古神道、修験道など。最後は琉球神道ですが、ご供養は故人が望む信仰で行っております。

 
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《沖縄戦関係者の方々へご供養に関するお願い》
 
 この内容は結喜個人からのお願いになります。
 
 ● 本日の沖縄慰霊の日は、沖縄戦での戦没者・戦死者・戦災犠牲者の方々を追悼する日です。
 
 もし追悼者の方で
1. 沖縄や奄美大島などのご出身の方
2. 標準語だけではなく、沖縄の方言→『琉球語』(ウチナーグチ)や『奄美語』などの琉球諸島語圏の方言を話せる方
 
 がいらっしゃいましたら、沖縄戦に関してのご供養の際には標準語(ヤマトゥグチ)ではなく、ぜひご出身の沖縄や奄美大島の方言でご供養していただけますと非常にありがたいです。

 

 

 

 

 
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● 私は2014年に沖縄での追善供養・鎮魂供養を行いましたが、その際に沖縄の対馬丸記念館に立ち寄りました。それまで私は対馬丸事件についてまったく知らない状態でした。
 
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E4%B8%B8

 

 

(↑クリックすると移動します。)

 

http://tsushimamaru.or.jp/

 

(↑クリックすると移動します。)

 

https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_38.html

 

(↑クリックすると移動します。)

 

  対馬丸記念館で私は日本とアメリカによって沖縄の罪のない多くの子どもたちが犠牲になったことを知り、ずっと泣き続けていました。私はこの事件を知り必ず対馬丸が沈没した現地まで赴いて、追善供養・鎮魂供養だけではなく、海に沈んでいった子どもたち・犠牲者の方々を必ず懐かしい沖縄まで送り届けることを約束しました。

 

 

 

 

 

 その約束を果たすまで丸7年かかりましたが、ようやく今月6月9日〜12日に対馬丸のご供養を終えることが出来ました。しかし今回のご供養は私の人生の中で最も大変なご供養になったのです。
 
 対馬丸や沖縄戦のご供養に関する詳しい経緯は次回にまわしますが、今回一番伝えたいのは生まれ育った故郷の言葉(方言)によって癒やされる魂があるということを知ってもらいたいのです。
 
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《なぜ琉球語や奄美語でのご供養が必要なのか?》
 
私は供養だけに関しては、唯一誰にも負けない自信があります。私は自分の人生をご供養に捧げていると言っても過言ではないという自負がありましたが、今回のご供養は人生で初めて挫折する結果となりました
 
 それは、『こちらがいくら亡くなられた方々に対しての想いがあっても言葉が通じない。供養が届かない。』という経験をしたからです。
 
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《標準語(ヤマトゥグチ)での供養は通じなかった》
 
 2014年から7年間かけてのご供養ですので、それはもうできる限りの下調べをしてから(琉球王国の歴史や琉球神道など)ご供養に臨んだのですが、今回のご供養に関しては私のご供養はほとんど通じませんでした。
 
いや、ご供養というよりは「こちらの言葉が通じなかった」ことがご供養が出来なかった原因だったのです。
 
私は人生で初めて『想いがいくらあっても届かない。通じない。』という衝撃の経験をしました。
 

 

《救世主はタクシーの運転手さん》

 

 

 

この最悪の状況を打破してくれたのは対馬丸の慰霊碑まで案内してくれた奄美大島のタクシーの運転手さんでした。(幸いこのタクシーの運転手さんは非常に信仰が厚く、ユタやノロ、奄美大島や沖縄の信仰にも知識がある方でした。)
 
 私は言葉が通じない、ご供養が届かない状態になりパニックに陥り本当に困ってしまいました。私は無い知恵を絞り出して、沖縄は言語が違うということを思い出し(琉球神道や神歌など)、もしかしてと思ってタクシーの運転手さんに私の話している言葉を奄美大島の言葉(奄美語・琉球語)に通訳してもらったのです。
 

 
タクシーの運転手さんに通訳してもらった言葉

 

『この黒い衣をきたおばちゃんのところに来てくれたら、みんなを懐かしい沖縄に連れて帰ることができるから暗い海の底から出て、このおばちゃんと一緒に沖縄に帰ろう。』
 
 ↑の言葉を奄美大島の方言に変換して通訳してもらいました。
 

 

 

 するとどうでしょう。
 私の伝えたい内容がちゃんと対馬丸の子どもたちに伝わったのです。もうびっくり仰天です。(これもすべてタクシーの運転手さんの奄美大島の方言のおかげです!!!ようやく子どもたちを暗い海の底から地上へと連れ出すことができたのです。本当に本当にありがとうございました!!!)
 
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《標準語が通じなかった原因》
 
 その日、奄美大島のホテルに戻ってから、なぜ私の言葉や供養が通じなかったのか。その原因を探るために沖縄戦当時の歴史を調べ直していくと、その原因がわかりました。
 
沖縄戦が行われていたその当時、方言撲滅運動が強制的に行われていたのです。

 

 

 ⇓こちらをご覧ください。(クリックすると引用元の記事に移動します。)
 
当時の沖縄はこのような状態だったのです。
 
社説[戦後70年 地に刻む沖縄戦]

戦場の琉球語 間諜を警戒し使用禁ず 

※ 引用・琉球タイムスより
(↑クリックすると移動します。)
 
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「方言」論争と沖縄戦 

※ 引用・日本近現代史の授業中継より
(↑クリックすると移動します。)
 
  当時の日本軍によって沖縄(琉球)の文化や言葉、風習などはことごとく破壊されていきました。
 
 そして沖縄戦において最悪の状況をつくりだしたのが第32軍牛島満軍司令官(中将)であり、6月23日自決前に「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」最後の命令を出したのです。その命令のために沖縄戦はどんどん長引いていきました。
 

 

 さらに牛島満軍司令官は、「防諜に厳に注意すべし」という指示も出していたので、日本兵は指示通り終戦した8月15日以降も沖縄で琉球語(ウチナーグチ)を喋っていたものはすべてスパイとみなし、沖縄住民を虐殺していたそうです。
 

 

 本当の意味で沖縄戦が終了したのは、9月7日に正式に沖縄の日本軍が降伏調印したときであり、8月15日に玉音放送で日本が負けたことが伝えられて本土では戦争が終わっていたとしても、沖縄では戦争は続いていたのです。
 

 

 

《みんなが標準語(ヤマトゥグチ)が話せた・理解できていたわけではない。》 
 
 当時は家では方言(ウチナーグチ)・学校では標準語(ヤマトゥグチ)なのですが、学校にいる時間より家にいる時間が長い、またお祖父ちゃんやお祖母ちゃんの話す言葉のほとんどは方言なので子どもたちは教育として幼稚園や小学校で標準語を義務付けられていたとしても家庭の事情や学力等によって全員が全員標準語を話せるわけでも理解できるわけでもなかったのです。
 

《この言葉、理解できますか?》

 

【奄美大島 ラジオ体操】

https://youtu.be/RihKsqOqWZg
 

【沖縄 ラジオ体操】

https://youtu.be/T0YAy6aaGsE
 
 対馬丸の子供達にとっては私の言葉はこの方言のラジオ体操のように、こちらが何か言っている・伝えているのはわかるけれど「意味がよくわわからない外国語」のような感じだったと思います。
 
※ ちなみに私は英語が苦手で中学校から習っていますが未だに意味がさっぱりわかりませんし、地元の方言もまったく理解できません。当然ながらタクシーの運転手さんの方言もまったくわかりませんし、↑のラジオ体操も手とか腕とかは理解できてもそれ以外の言葉はまったく理解できません。言葉が理解できないと色んな部分でとても不自由になり精神的にどんどん不安定になっていきます。(少なくとも私はそうです。)
 
.....................
 
《ウクライナから日本に来た子どもたちも同じ》

 

 

↑は奄美大島でご供養中だった

6月11日のニュースになります。

記事の内容が言葉に関してのもので、

ご供養の問題点と被るものでした。

タイムリーすぎたので写真に取りました。

 

 沖縄周辺はもともと日本ではなく「琉球王国」であり、文化や言葉、信仰、作法などが違いすぎました。そのため現地の方が昔ながらのやり方でご供養しないと成仏できないと感じました。(特に対馬丸の犠牲者の場合、78年間も海の底にいたわけで当時の時代で記憶が止まっています。子どもたちにとっては78年ぶりの沖縄は子どもたちが思い描いていた沖縄とはかけ離れていて浦島太郎状態だったと思います。例えるならば太平洋戦争終結から28年ぶりに日本に戻ってきた横井庄一さん状態と言っても過言ではないと思います。)
 
 琉球系統の島々では祭祀の文化として洗骨といわれる独自の埋葬・供養方法があります。今では洗骨の文化も廃れつつあるかもしれませんが、まだお年配の方や関係者の方で洗骨の作法を覚えてらっしゃる方がいらっしゃれば、沖縄戦での同胞たちをイメージで構いませんので洗骨していただけますと、本当の意味での成仏ができるかと感じました。
 
※ 少なくとも当事者ではない私が沖縄の方々のご供養に対してとやかく言える立場ではないことも重々承知していますし、差し出がましいこともわかっておりますが、私は何よりも故人が望むご供養を大切にしていますので、ご理解・ご協力いただけますと幸いです。
 
・・・・・・・・・・・・・・
 
 ※ 6月12日に対馬丸事件の子供達を沖縄の対馬丸記念館までなんとか送り届けましたが子どもたちを送り届けるまでの間・送り届けた後も多くの問題が発生しています。
 
 今回のご供養で感じた対馬丸の供養を通しての問題点や解決点、課題点は私のブログで少しずつ書いていきますが、今回の供養で「言葉の壁は私の想像を越えてはるかに大きかった。」ということを痛感しました。
 
 今回私なりにものすごく頑張りましたが、私では沖縄や奄美大島(琉球諸島、吐噶喇列島など)の方々のご供養は役不足で十分なご供養ができませんでした。申し訳ございません。
 
 沖縄は現在日本に組み込まれているものの琉球関係のご供養に関しては、その土地や風土、風習や信仰、ノロやユタといったシャーマンの方々の力を借りないと十分なご供養ができないと感じています。しかしながら私でも多少なりともお役に立てるのあれば私ができる範囲でご供養を続けさせていただきます。
 
・・・・・・・・・・・・・・
 

  《最後に伝えたいこと》

 
 私は全国47都道府県に赴いて、戦没者・戦死者・震災犠牲者の追善供養・鎮魂供養を行ってきております。
 
 戦争や震災の当事者の方々はその記憶を伝えていく必要があるかと思いますが、私の目的はそれらで犠牲になった方々のご供養であり、伝える側の視点と供養する側の視点が異なります。そもそもの目的も違うため、私の発言や行動に対して不快に思ったり、不信感を持たれる方もいらっしゃるかもしれません。
 
 戦争や原爆の被害者の方にとっては敵国を恨んだり憎しむ気持ちがあるかもしれません。ですがご供養を行う私の立場からすると、私にとっては人種も男女も年齢も職業もまったく関係なく、日本兵もアメリカ兵もロシア兵もウクライナ兵も「死」という事実の前では、同じように「その出来事によって尊い命が失われてしまった。」犠牲者になります。
 
 そのため私は宗教や国籍、人種など関係なく、犠牲になった方々の追善供養・鎮魂供養を行っています。元尼僧として私が生きている間は一生続けていくつもりです。亡くなった方々が少しでも優しくあたたかな光の世界に行けるように。元の世界に早く戻って安心できるように・・・。
 
 戦争によってたくさんの無関係な人たちが多くの犠牲を払い、苦しみます。その戦争で家族を亡くし供養する立場になった方々の怒りや悲しみ、苦しみを理解してください。戦争が長引けば長引くほど、憎しみや恨みがうまれます。国民の幸せを本当に考えて願うならば、これ以上このような負の連鎖を次の世代に繋げるようなことをしないで欲しいです。

 結喜です。長い間、ご無沙汰しておりまして申し訳ございませんでした。

 

 この空白の一年、生き死にに関わるような状態になっておりました。

 

 下記は2022年5月8日に私のFacebookで書いたものになります。

 


《2022年5月8日記載》

★ お久しぶりです。ご無沙汰しております。結喜です。半年以上ぶりのご挨拶、近況報告になります。

 

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《これまでの経緯》

 私は障害者です。周りの方からは「障害者にまったく見えない。」とよく言われますが、実は皆さんが思っているよりはるかに重度な障害を患っています。

 

 昨年2021年7月。

 私の障害特性、病状がどんどん悪化していきました。その3ヶ月後の2021年10月後半には若年性アルツハイマーの症状が顕著に現れて自分の住所も書けない、名前さえも忘れ、自分自身が誰であるかさえわからなくなっていきました。

 

 目線を移動した瞬間に、今自分が何でここにいるか、何をしていたのかさえわからなくなります。「あれ?どこだっけ?」「何していたっけ?」と言う言葉は日を追うごとに増えていき、ついに日にちや時間の感覚さえもなくなり、一週間お風呂に入らないという日も続き、自分が人間であることさえもわからなくなり、記憶が退化するごとに自分の感情や思考のコントロールが難しくなっていきどんどん本能だけで動く動物のような状態になっていきました。

 

 このように完全に頭が狂った状態だったのでブログを書く、SNSで発信するといった理性を使う高等技術は当然無理なわけで、結果半年以上放置ということになりました。

 

 特に酷かったのは昨年末〜今年の2月までの間です。当時は生き死にを彷徨うぐらいの状態で一時は現場復帰を本気で諦めていましたが、2月以降から徐々に持ち直して病状も緩和してきております。

 

 現在は現場復帰に向けて、障害者就労移行支援で訓練中です。訓練のおかげでこれまで出来なかったものが出来るようになったりと能力や技術が向上しているのを日々体感しております。

 

 訓練のお陰様でこの文章を書けるぐらいの状態まで回復し、当時「あ、い、う、え、お」すら認識できなかったことがまるで嘘のようです。今では現場復帰できるくらいまで元気になって今後の予定では2022年8月、遅くても9月には本業を再稼働できそうです。

 

※ これまでの闘病生活の経緯を時系列でお詳しく話しするとめちゃくちゃ長くなるので、この内容はブログでお伝えいたします。

 

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《お知らせ・ご報告》

 

★ 今年は個人事業主として結喜の屋号を持って 10年目、プロ占い師としての鑑定歴が20年目という節目の年になります。これもひとえにお客様並びに関係者や同業者の皆様の温かいご支援・ご協力のおかげでございます。本当に本当にありがとうございます。 

 現場復帰までもう少しお時間いただきますが、完全復帰後の活躍を楽しみにしていただけますと幸いです。

 

 昨年から今日まで死に物狂いで1日1日を過ごしてきましたが、経験しなければわからなかったこと、気づけなかったこと、ものすごくたくさんありました。当事者だから伝えられることや教えられることもたくさんあるかと思っています。このような私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 



  次は2022年5月21日のFacebookで書いたものになります。
 
《2022年5月21日記載》
先日、初めててんかんらしき症状があらわれました。
 
 突然全身に痺れが走りそのままばたんと倒れて身体の自由がきかなくなりました。全身硬直、手足が冷たくなっていき顔全体が痙攣しはじめて口角が勝手に動き始めて口からは大量のよだれがだらだらと出てきました。
 
倒れて動けなくなった時に「あー、もうこれで死ぬのかなぁ。」とぼんやり思っていたのですが、その時に「あ、だめだ。死ぬのはいつでもいいけれど死ぬ前にどうしても絶対これを終わらせなくてはいけない。」と、7年半ずっと果たせなかった約束を思い出すことが出来ました。
 
約束してから7年半経つけれど、その約束自体は忘れたことはありません。今までその約束を果たすために何度かチャレンジしていたのですが今であればその約束を果たすための条件が全部整ったので、6月にその約束を果たすために行動を起こします。
 
昨年のオリンピック・パラリンピック後からどんどん持病が悪化していき、昨年末には若年性アルツハイマーが発症。先日はてんかん。最近はどんどん視力も低下していき、目が見えなくなるのも時間の問題かもしれません。
 
 もともと霊能者や霊媒師、シャーマンと言われる人たちはその命と引き換えに神事や交霊を行っているため短命の方が多いです。
 
 私の父も43歳という若さで亡くなり、私もついに父と同じ年になりました。一昨日父の命日でしたが私は父のようにやり残したことがあり後悔しながら死にたくありません。 私は自分が交わした約束をきちんと果たしてからあの世に行くつもりです。ようやくその約束を果たせる段階にきたので、その約束を果たすまでは頑張って生き続けます。(約束の内容はいつもと同じ追善供養・鎮魂供養関係です。僧籍返上しても、死にそうになってもご供養のことしか考えてないなんて私は根っから僧侶なんだろうなぁ・・・。)
 

 

​ 7年以上かかった約束を、ようやく果たしました!

 

  2014年から開始した全国各地で行ってきた追善供養・追善供養行脚。7年以上かけてようやく終了いたしました

 

 移動範囲が全国規模になったのは2014年〜2015年の47都道府県全国行脚ですが、実はそれ以降も毎年テーマを決めて一人で細々とご供養を行っておりました。

 

 2016年からは移動範囲はピンポイントですが、テーマごとのご供養を行うために数年がかりで歴史等の勉強してご供養を行っておりましたので、知識量・専門性という点では正直47都道府県全国行脚のほうがはるかに楽でした。

 

 そして先週6月12日、ついについに7年以上かかったご供養が終了いたしました。

 最後のご供養になったものの、今回のご供養ででさらなる課題がたくさん見つかり、この内容は一生かけて勉強していかなければならないものになります。一生勉強・一生精進と改めて思いました。

 

 特に今回のご供養の内容は、私が死ぬ前に皆さんに絶対にお伝えしなければならないと思った内容ですのでぜひ次回のご供養総集編をご覧ください。とてもとても大切な内容なので絶対に記事を書きます。

 

 
 
 

 前回のブログからすでに9日が過ぎました。この期間にオリンピックが始まりましたが、オリンピック開始とともに前回の小山田圭吾さんの「障害者いじめ問題」は少しづつ下火になってきたようですね。

 

 今回はわざと時間をずらしてこのブログを書いています。それは皆さんの「記憶の風化」を防ぐためです。

 これだけ毎日毎日様々な情報が目まぐるしく入ってくると、小山田さんのような国際レベルの問題が起こったとしても、時間と共に皆さんの記憶から「障害者いじめ問題」が少しづつ薄れてきてしまっているのではないでしょうか?

 

 「人の噂も七十五日」という諺もあるくらいですから、世間でどんなに大問題になって大騒ぎしてもそれは一時的なことで二、三ヶ月すれば皆さんの記憶の中から次第に消えていき、話題にのぼらなくなってきます。英語では似たような言葉で、"A wonder lasts but nine days.(驚きも九日しか続かない)” というものがあるようですが、情報の流行り廃れも激しい時代で連日似たような問題が起きると、だんだん感覚が麻痺して「ああ、またか。」と驚きも九日どころか一週間も続かなくなってきています・・・。

 

 実際、今回のブログを書くまでの数日間の間に様々な人権問題が起こっています。

 

 小山田さんの過去の「障害者いじめ」が公に拡散されたために7月19日に辞任(オリンピック開催4日前)、翌日7月20日には東京2020 NIPPOフェスティバルに参加予定だった絵本作家 のぶみさんが辞退(オリンピック開催3日前)、7月22日には五輪開会式ディレクターであった小林賢太郎さんのユダヤ人大量虐殺ごっこ発言の「ホロコースト揶揄問題」で解任(オリンピック開催前日)という前代未聞の不祥事が次々と噴出しました。

 

 

これは全て「人権」に関する問題です。

 

 実際オリンピックが開催され日本で金メダルラッシュが続くと、あれだけ騒いでいた小山田さんの問題もさほど気に留めなくなるだろうな。というタイミングを狙って今回は「オリンピック憲章」について、次回は「戒律と法律」について私なりの意見を書いていこうと思っています。

 

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 オリンピック憲章 より抜粋 

最新のものは2020年7月17日から有効)

公益財団法人日本オリンピック委員会

オリンピック憲章

(↑ こちらをクリックすると移動します)

 

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【国際オリンピック委員会】

 

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【国際競技連盟】

 

 

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【国内オリンピック委員会】(日本)

 

 オリンピック憲章において「国際オリンピック委員会=IOC」・「国際競技連盟=IF」・「国内オリピック委員会=NOC」の3つの組織は「オリンピック憲章を遵守する義務がある。」と明記されています。
 
 このオリンピック憲章の規定に添えば、「障害者いじめ」問題の小山田さん、のぶみさん、小林健太郎さんはオリンピック憲章で掲げられている「人を尊重する」という部分において国の代表として相応しくなかったということで、辞任・辞退・解任は仕方ないことだと思います。
 
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【憲章】
 ① 重大な事柄に関するおきて。
根本的な原則に関するきまり。
 ②  憲法の典章。
 
【憲法】
 ①  国家の基本的事項を定め,他の法律や命令で変更することのできない,国家最高の法規範。
 ②  物事の大原則となる約束事。きまり。おきて。公正であること。公平であること。また,そのさま。
 
【法律】
 ①  社会生活の秩序を維持するために,統治者や国家が定めて人民に強制する規範。法。
 ②  憲法に基づいて国家の立法機関により制定される成文法。
 
 ①  仏の説いた教えと信者の守るべき規律。教えと戒律。
 ②  仏の説いた戒律。
 
【規範・軌範】
 ①  行動や判断の基準・手本。
 ②  単なる事実ではなく,判断・評価などの基準としてのっとるべきもの。準拠。標準。規格。〔類義の語に「模範」があるが,「模範」は見習うべき具体的な例の意を表す。それに対して「規範」は行動したり判断したりするときの従うべき基準の意を表す〕
 
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【オリンピック憲章で最も重要とされているもの】
 
 
 
オリンピック憲章が
尊重する価値と原則
 
 
 
 
憲章の欠くことのできない要素である
「倫理規定」
 
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【オリンピック・ムーブメント
《オリンピック・ムーブメントの構成と全般的な組織 》
 
 オリンピック・ムーブメントは、国際オリンピック委員会の最高権限と指導のもと、オリンピック憲章に導かれることに同意する組織、選手、その他の個人を包含する。
 
 オリンピック・ムー ブメントの目的はオリンピズムとオリンピズムの価値に則って実践されるスポーツを通じ、若者を教育することにより、平和でより良い世界の構築に貢献することである。
 
《各IOC委員は以下の義務を負う。》
 オリンピック憲章、倫理規程、その他のIOCの規定に従う。
 
IOCは新委員が式典において以下の宣誓を行い、自身の責務を果たすことに同意することで、新委員を受け入れる。
 
 「私は国際オリンピック委員会の委員に選ばれたことを誇りとし、委員としてのあらゆる責任を負います。 私は全力を尽くしてオリンピック・ムーブメントに貢献します。私はオリンピック憲章を遵守し、 IOCの決定を受け入れます。
 私は常に商業的・政治的利益に関わることなく、また人種的、宗教的な考えに左右されず活動します。私はIOC倫理規程をすべて遵守します。私はあらゆる形態の差別と戦い、どのような状況においても国際オリンピック委員会とオ リンピック・ムーブメントの利益を促進するため、献身的に努力することを誓います。」
 
 
● 国内法、商標登録またはその他の法律文書が、オリンピック・シンボル、またはその 他のオリンピック資産の法的保護をNOCに許可する場合でも、NOCがそのことで得られる権利を行使できるのは、オリンピック憲章に従い、IOC指示に従う場合に限られる。
 
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 選手個人の能力の高さで勝敗や順位が決まりますが、オリンピック・パラリンピックでは能力以上に人としての「倫理=道徳」と国を代表としての「品性」が求められます。
 
 特に主催国である日本は世界の代表としての倫理観や品性が求められますが、代表となる日本で人権問題が起こること自体がこのオリンピック憲章に違反していることになります。同時に主催国の国民でもある日本人も世界から注目されているという部分においては一人一人に「倫理観」「道徳観」や「品性」を求められていると思います。
 
 次回は「戒律と法律=オリンピック・パラリンピックを開催する意義」を私なりの視点で書いていこうかと思います。
 
《追記》
 五輪真っ只中でのオリンピック選手の不適切な行動、オリンピック選手に対する国民の誹謗中傷、緊急事態宣言延長の国の代表たちの無責任な発言・・・。
 毎日のようにネット上では誰かに対する誹謗中傷や批判・嘘偽りだらけです。それが事実であったとしても、意見するにしろ人を傷つけるような言い方、国民の生活を無視した身勝手な発言はこの「倫理観」「道徳観」「品性」からかけ離れているような気がしてなりません。
 
 それこそオリンピックで日本が掲げている「多様性と調和」とは一体なんだろうと思ってしまいます。どんな意見や発言であれ、まず相手の立場を考える・思いやりを持って関わることが大切なのではないでしょうか?(言葉はとても怖いです。使い方を間違えればその一言で相手殺すこともできる凶器になるのですから・・・。だからこそその言葉が相手にどのような影響を与えるかを考えながら言葉を選ぶ発言すべきだと思います。)
 
次回:
⑷【戒律と法律】
オリンピック・パラリンピックを開催する意義
に続く
 
 

 今回の小山田さんの問題は実は他人事ではありません。なぜならこのような「いじめ」や「差別」は日本では障害者・健常者関係なく当たり前のように行われているからです。

 

 小山田さんの過去における「障害者いじめ」は到底許されるものではないと思います。ですが、いじめや差別の気持ちはどんな方であれ大なり小なり持っていると思います。疲れやストレス・体調や精神不調、環境の悪さなど様々な要因でイラッとくる時もあるだろうし、ついつい言葉がキツくなってしまうことだってあるかもしれません。理不尽で不合理・無理解で有害な環境に居続けると「朱に交われば赤くなる」という言葉もあるように、その時は自分がそう思っていなくても知らず知らずのうちにそれが当たり前だと思うようになってくるのかもしれません。

 

 様々な要因や問題が重なって結果的にいじめや差別をしてしまうこともあるかもしれませんが、一番問題なのがそのような行動に対して罪の意識もなく、その行動を「そのくらい」とか「誰でもやっている」とか「大したことはない」「むしろ障害者は迷惑をかけているから、いじめられて当たり前」と一蹴してしまうことが問題なのです。

 

 

 そして今回の小山田さんの「障害者いじめ」の核となる部分が、その行動を武勇伝のように悪びれずに自慢するという「倫理・道徳観の欠如」が国際社会において問題視され批判される状況を引き起こしてしまったと私は考えています。

 

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【倫理】

人として守るべき道。

人として望ましい行動。

 

道徳。モラル。

 

人と人とが仲良くするためのルール。

(道徳規範・認識論・美学=哲学)

 

 

 善悪の基準は国や文化・時代によってどんどん変化していきます。当時正しい・常識とされた考え方も時代の変化とともに変わっていきます。そして善悪の基準となる倫理観や道徳観は、生まれて生きているうちに自然に備わるものではなく、教育によって後天的に身につくものです。

 

 もっとも重要なのは幼少期にどのような家庭環境で育ったかです。子供が悪いわけではありません。善悪の基準は各家庭・家族関係によって作られていき、その基準に沿って子供の正しさの価値基準が刷り込まれていくからです。

 

 

 子供にとっては親は絶対です。親が教えたことは子供にとっては「正しい」のです。子供が問題を起こすと「親の顔を見てみたいものだ」という言葉が出てきますが、まさにその通りです。(親の教育=子供の価値観)

 

 ですが問題を起こす子供の親もしかすると幼少期の家庭環境が適切な教育や道徳・倫理を教えてくれるような状況でなければ、その親だって何が正しくて何が間違っているのか「知らない」のです。

 

 ですので、まず子供を責めるよりも問題を起こしてしまう子供の家庭環境や親の精神衛生状態や生活環境を改善し、その上で親だけではなく子供の周りにいる大人たちも一緒に善悪の基準をしっかり教えることがとても大切だと私は思っています。

 

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 そしてその「善悪」の価値基準や社会秩序を作っているのが実は「宗教」です。

 

 海外の方から見れば、宗教を持たない=モラルのない人・道徳のない人。と見なされ軽蔑される対象となります。

 

 日本人の行動が海外でよく問題視されるのは日本人が宗教を持たない(無宗教)からではなく、宗教の中で本来学ぶべき倫理観や道徳観に則った善悪の基準を理解していないからです。

 

 

 人によっては「日本人はお正月には神社(神道)に行き、お盆にはお墓参り(仏教)に行き、結婚式はキリスト教で多様な宗教を認めていて素晴らしい!!!」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、実家が寺院で元尼僧の現場の人間から言わせていただきますと全く違います。

 

 日本にはたくさんの宗教が入り混じっています。ですが現在の日本においてはそれは信仰や信心ではなく単なるイベントと化してしまっています。

 

 それはハロウィンなどを見れば一目瞭然です。宗教が神聖なものではなくウェーイとパリピ張りのお祭りになっています。すでに宗教ですらありません。仮装パーティーやら飲み会です。

 クリスマスやバレンタインだってそうです。宗教的な祈りや感謝すらありません。宗教を商売繁盛のための道具として利用されているだけです。(神への冒涜どころじゃありません。なぜなら信者ですらないので。信仰や信心すらないのに他宗の大切にしている聖なる記念日をお金儲けのために土足で踏み込んで穢して喜んでいるのですから。)

 

 

 神社仏閣に行く=開運のため(信仰ではない)

 お遍路参りに行く=開運のため(信仰ではない)

 パワースポットに行く=開運のため(信仰ではない)

 

 

 これは信仰ではありません。イベントです。日本では「開運ツアー」なるものが盛況ですが、イベントツアーなので神様や仏様に手を合わせたら終了です。イベントなので継続することはありません。一瞬で終わりです。

 

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私の家は仏教です。

私の家は神道です。

 

 家系で代々その宗派で先祖を祀っていただけで実際どのくらいの方が自分の宗派の経典や経本を開いて唱えた(読経)ことがあるでしょうか?

 

 信仰・信心=家系の宗派のお坊さんが自宅でお経を上げることではありません。

 

 本来信仰や信心というものは各個人個人が毎日継続して自発的に続けていくものです。それをどの宗派も「在家信者のお勤め」と言っています。

 

 宗教=悪徳商法・霊感商法と思われる方が多いと思いますが、そのようなことをおっしゃっている皆さんは一度でも自分の宗派の経典や経本をきちんと全部読まれてことがありますか?

 

 この経典や経本と言われているものの中に、人としてのあり方を示す倫理や道徳の基準、(規律や戒律・作法など)が書かれているのをご存知でしょうか?

 

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 私は宗派は違いますが、曹洞宗の「修証義」というお経が好きです。

 

 

 修証義

 ・第一章 総序

 ・第二章 懺悔滅罪

 ・第三章 受戒入位

 ・第四章 発願利生

 ・第五章 行持報恩

 

 構成としてはこのようになっていますが、特に第四章は人としてのあり方や生き方(倫理行動)が示されており、全くその通りだと思っています。

 

 日本人の映像を使用したかったのですが、映像がなかったため海外の方の映像を使いましたがこれが現状の日本です。日本は海外のような支援や助け合いの精神があまり発達していません。これは良い悪いではなく宗教の教えの違いによるものだと私は思っています。(このような状況になっている原因を⑷の戒律と法律で説明してきます。)

 

〜第四章 発願利生〜

  衆生を利益すというは四枚の般若あり、
  一者布施、二者愛語、三者利行、四者同時、
  是れ即ち薩埵の行願なり、

 

布施】

  其布施という貪らざるなり
  我物に非ざれども布施を障えざる道理あり、

  其物の軽きを嫌わず、

       其功の實なるべきなり、

  然あれば即ち一句一偈の法をも布施すべし、
  此生佗生の善種となる、

        一銭一草の財をも布施すべし、
  此世佗世の善根を兆す、

  法も財なるべし、財も法なるべし、

  但彼が報謝を貪らず、

       自からが力をわかつなり、
  舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、

       治生産業固より布施に非ざること無し。

 

【愛語】

  愛語というは、衆生を見るに、

       先ず慈愛の心を発し、

  顧愛の言語を施すなり、

       慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて

       言語するは愛語なり

 

  徳あるは讃むべし、

  徳なきは憐れむべし、

  怨敵を降伏し、

       君子を和睦ならしむること

  愛語を根本とするなり、
  面いて愛語を聞くは

       面を喜ばしめ、心を楽しくす、

  面わずして愛語を聞くは

       肝に銘じ魂に銘ず、


  愛語能く廻天の力あることを学すべきなり、

 

【利行】
  利行というは貴賎の衆生に於きて

  利益の善巧を廻らすなり、

       窮亀を見病雀を見しとき、

  彼が報謝を求めず、

       唯単に利行に催さるるなり、
  愚人謂わくは利他を先とせば

       自らが利省れぬべしと、爾に非ざるなり。

  利行は一法なり、普く自佗を利するなり。

 

【同時】
  同時というは不違なり、

  自にも不違なり、佗にも不違なり、
  譬えば人間の如来は人間に同ぜるが如し、
  佗をして自に同ぜしめて

       後に自をして佗を同ぜしむる道理あるべし、

  自佗は時に随うて無窮なり、

       海の水を辞せざるは同事なり。

  是故に能く水聚りて海となるなり。

 

  大凡菩提心の行願には

        是の如くの道理静かに思惟すべし、
  卒爾にすること勿れ、

       済度摂受に一切衆生皆化を被ぶらん
  功徳を礼拝恭敬すべし。

 

【第四章(発願利生):詳細】

 (↑クリックすると移動します)

 

 私は実家がお寺だったから尼僧になったわけではありません。私の目的は「追善供養」や「鎮魂供養」のような供養であり、戦争で一家全滅して供養してくれる後継者がなく無縁仏になってしまったり、僧侶や神主などに供養してもらえない死者たちのために尼僧になりました。また私の場合は日本人や外国人など国籍や人種は一切関係ありません。「戦争によって犠牲になったすべての方々」がご供養の対象です。
 
 私は2001年に得度しましたが正式に僧侶になってしまうと本来の目的である「ご供養」ができなくなるため2011年に得度資格を返上し、今は仏教や神道関係なくあらゆる宗派・宗教でのご供養を行なっております。神道・仏教・キリスト教など・・・。得度資格を返上後に様々な宗教を関わりましたが、どれが一番正しいなどはなく、それぞれに良さがあります。どんなものでもそこに何かしらの良さを感じればどんどん取り入れています。それは宗教にとどまらず各国の文化や価値観も同じことで多様な価値観をたくさん知っていた方が選択肢も多くなり、結果自分の人生も豊かになっていくのではないかと私は思っています。
 

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 私は小山田さんの過去を知っているわけでもありませんし直接関わっているわけでもありません。ですので私が小山田さんの人生にとやかくいう権利はありません。

 

 ですが今回の問題がこれだけ国際社会問題になっている以上、何かしらの意見を発信しなければいけないと思い今回の記事を書きました。

 

 

 もし、小山田さんが上記のような「布施」や「愛語」「利生」などの倫理観や道徳観を誰かに教えてもらっていたり学ぶ機会があれば、きっと今回のような「障害者いじめ問題」なんて起こらなかったはずです。

 

 

 このように本来の宗教というものは「経典や教本の教えに則って人としてのあり方を学ぶもの=倫理・品性」であり、このような教えや学び日常生活の中で実践し、日々の訓練(勤行)を通して、人としてのあり方や倫理・品性を少しづつ身につけていくものです。

 

 キリスト教=クリスチャンにとってこの日々の勤行が「日曜礼拝」(ミサ)であり、毎週日曜日には家族と共に教会で祈りを捧げるのです。ですので同じ信仰でも「実践」しているかどうかが非常に重要になってくると私は思っています。

 

 

次回:

⑶【オリンピック憲章で最も重視されているもの】

本日:令和3年(2021年)/7月20日(火曜日)

 

 あと3日でついにコロナ禍真っ最中での1年越しの東京オリンピック・パラリンピックが開催される。

 

令和3年(2021年)7月23日《祝日・スポーツの日》

 

 東京オリンピック•パラリンピック開催されるまでに様々な問題が噴出してきたが、開催まであと10日を切った令和3年7月14日。東京オリンピック・パラリンピック開会式に作曲担当として選ばれていた小山田圭吾さんの「障害者いじめ問題」が発覚した。

 

 1994年・1995年に発行された某雑誌に小山田さんが小学生〜高校生の学生時代に率先して障害者をいじめていたというインタビュー記事が発掘されてしまったのだ。小山田さんが告白している過去の障害者いじめの内容はいじめで済むようなレベルではなく現在の法律に則れば完全に「犯罪」に該当する。さらに問題なのは小山田さんが障害者いじめを武勇伝のように自慢げに話していることだ。そこには罪の意識はまったくなく、むしろ障害者は社会的敗者・虐められて当たり前。インタビューをした記者も小山田さんの発言に対して同意している。

 

 この小山田さんの「障害者害者いじめ」が発覚した2日後の7月16日。

 小山田さんは障害者いじめに対しての謝罪文をツイッターで発表したが、東京オリンピック・パラリンピックの作曲担当はそのまま続行することを表明。小山田さんの「障害者いじめ」・「継続して参加表明」に対し、「罪の意識がない」と世間からの批判はどんどんエスカレートしていきネット上では大炎上。

 

 この大炎上を収めるべく翌日7月17日。

 小山田さんを起用した東京オリンピック・パラリンピック組織委員会がついに重い腰をあげて謝罪したが、五輪組織委員会は小山田さんの問題発覚後もこのまま東京オリンピック・パラリンピック開会式に小山田圭吾さんを継続して参加させる予定だった。

 

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しかし突然その流れが

ガラッと変わり始めた

 

小山田さんや五輪組織委員会からすれば、

それはまさに晴天の霹靂だっただろう。

 

 

 障害者・障害者家族で構成する

「全国手をつなぐ育成会連合会」の

当事者団体が動いたからである。

 

 

 

さらにそれを援護射撃をするように

国際社会もこの団体の主張を

全面的に賛同・後押ししたことにより、

 

 

ようやく小山田さんと五輪組織委員会は

7月19日付で東京オリンピック・

パラリンピックの参加を辞退したのである。

(国際社会から小山田さんの行為と五輪組織委員会が批判されたので)

 

この批判がなければ罪の意識もなく

やる気満々だったってわけだな。

 

 このような問題を問題とも思わない、また問題となっても「過去のことだから」とか「このくらいで何を大騒ぎしているんだ」といって謝罪すれば問題なしと事実有ったことを自己都合で勝手に無かったことにする倫理観の欠如している人間たちが作った大会だから、そりゃうまくいくわけないと思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

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これがオリンピック・パラリンピック主催国である

「美しい日本」

「お・も・て・な・し」の

現在の日本の実態である。

 

 

国際社会と日本の倫理観が

どれだけズレているか

この事件のおかげで

ようやくわかっただろう。

(だから日本は先進国どころか衰退国と言われるだ。)

 

つまり日本という国は

内側(国内)からの批判は

屁ともしないが

 外側(国外)からの批判には

すぐに対応するということだ。 

 

 しかし私からすればこのような状態は別に特別なことでもなんでもない

 それは昔から日本特有の文化として根付いている「村社会制度」(同調圧力)が関係しているからだ。

 たまたま東京オリンピック・パラリンピックによりいつも以上に日本国内の内情が露呈しやすい状態になっていただけであり、東京オリンピック・パラリンピックが終了すればすぐに元の村社会制度(同調圧力)の締め付けが始まるだろう。

 

それこそ

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だ。

 

 世界から今この瞬間注目されるから下手なことが出来ないだけであり、このような倫理観が欠如した陰湿ないじめ体質は今現在も当たり前のように日本人の文化の中に存在している。

 

ーーーーーーーーーー

 

次回:

⑵ 【倫理・道徳観】

障害者当事者・現場目線から見た日本。

に続く

(↑クリックすると移動します)

 

 

関連記事:

⑴ 小山田圭吾さんの

「障害者いじめ」と日本文化の問題点。

 

⑵ 【倫理・道徳観】

障害者当事者・現場目線から見た日本。

 

⑶【オリンピック憲章で最も重視されているもの】

障害者当事者・現場目線から見た日本。