貨幣経済の問題点。愛と力について
モノはどうしても腐る。ブツブツ交換の時代、それを見た人はこう思っただろう。「せっかく頑張ってくれた人に対して、腐るものを渡すのは可哀想だ。 お礼の気持ちとしてお金というものをプレゼントしよう。 そうすれば二度と減らないではないか。」それは全く愛に満ちているし、合理的な判断だったと思う。そういう意味でお金というのは大変に素晴らしい発明であり、貨幣経済は素晴らしいシステムだったのだけど、とうとう限界にきてしまった。--------2015/2/16追記久しぶりにブログをのぞいたら、ピケティ人気のせいか、貨幣経済について調べている中で、この記事に着地している人が多いことに気づいた。おそらく、富の成長か再分配かという”二択”に疑問を持つ人も少なからずいるだろう。この記事は2011年に書いたものなので、ちょっとわかりづらい主張に満ちている。もうちょっと一般化した主張だと、僕はミヒャエル・エンデの書籍にも少なくない影響を受けている。エンデの遺言 ―根源からお金を問うこと (講談社+α文庫)/講談社¥918Amazon.co.jpエンデは書籍の中で「お金が腐らないこと」がひとつの問題だと指摘し、実際に戦争中に腐るお金を導入した海外の都市があって、かなり経済がまわったのだが、それはすぐに政府が没収したことに触れている。そもそもお金っていうのは紙くずであって、原価は0に近いのだけど、それがなぜか信頼価値を持ち、刷った瞬間に利子が発生するという「発行元」にとっての、富の無限増殖装置としての機能をもっている。かつ、これがなければ”生きていけないと信じさせる”、人を縛り付ける恐怖システムとしての側面もある。それを知っているから、政府は紙幣の独占権を「株式会社」である日本銀行(ちなみに各国のほとんどの中央銀行は株式会社である)に委ねているのだろう。もしこのあたりにひっかかった人は、いろいろ貨幣の歴史を調査してみるといいだろう。きっとゾッとする人もいると思う。さて、これは信頼を元にした詐欺の側面があり、まぁ国っていうものがもともとそういうビジネスだと考えることもできるのだけど(だから酷すぎる国家体制はどこかで暴力によって倒されるのでしょう。その繰り返しともいえる)。。でも、現代人としては、なるべく平和解決していきたいと思うとして、じゃぁどうしたらいいかというと、貨幣を無視すればいいというのが僕の考え方。別のものを信頼し、その信頼するものは、時間がたつと腐るようにすればいい。(かつより大切な余談だが、個人としては「生き様」という信頼価値は唯一積み重ねるものだから、これを大切にすればいいと思う。)これはより自然に即しているし、富の再分配よりもはるかに効率がよいだろう。僕はビットコインあたりにそのあたりの解決を求めたかったのだけど、うまく体制側に恐怖心を煽られてしまって、結局、創始者の思想通りうまくはいかなかったと思っている。ただ、インターネット上の価値の交換のように、貨幣を無視した交換は既に起こりつつある。時間をインターネットの調査で費やすなんていうのは、その一端だ。だとすると、市場を流通する貨幣の量と人の生活のリンクが薄まっているということであり、信頼を数値化したものであった貨幣の役割は薄れ、その信頼はもっと別の「何か」に移行すると考えられるのだ。わかりやすくいうと、SNSでの発言権とか。それは多分、今後ロボットが出てくるとそれだけじゃなくなってくると思う。そこで、その先によりよい未来があると信じれるかどうかは、まだ僕は確信はないのだけど、間違いなく変化は起こりつつあるので、その先を見てみたいという気持ちはある。その時に大切なのは「貨幣」を信じすぎないこと。そもそも人が仕事をするために必要なのは、貨幣という紙くずではなく、”食物”と”生きがい”だったはずだ。よりそれに即したシステムが自然発生的に発明された時、もうちょっと世の中は変わると思うのだ。以上、追記終わり。--------2015/3/27追記上記ではいろいろ述べていたが、腐るお金というものを導入しても、全体的にはうまくいかないという結論にいたった。理由は、もし仮にお金が腐るとしたら、安心を得たいがために、手段を選ばずもっとたくさん手に入れたいと思う人が現れるだろうからである。そうなった時には、粗悪品を詐欺で売る行為が横行し、かつ地球の資源をより早く食い尽くしてしまうだろう。また、それを不便に思った人が、やはり腐らないお金を発明し、その貨幣に人気が集まることになるだろう。つまり元に戻るのである。結局、貨幣の問題の根源は人間が「死にたくない/永遠の安全を手に入れたい」と幻想を抱くことである。そもそも生き物は、自分の幻想とは矛盾するものであり、そういう絶妙のバランスを受け入れながら、自分を必死に禅によって生きるしかないのである。エンデは、このあたりで、幻想(理想ともいうが)を信じ、楽観視したかった人だったのかも知れない。しかしじゃぁ理想郷が出来た場合には、人間はとても暇をしてしまうはずである。理想郷は理想郷ではないという、なんとも摩訶不思議な話が奥には潜んでいるわけで、誠に生物は僕達なんかでは思いもつかないくらい奥深いのである。ただ、人間社会は変化はする。そういう意味で、貨幣以外のところで価値の交換が始まったのは確かだから、今までの常識は、少なからず崩れていくことにはなると思う。...さて、下記2011年の文章は、更に死生観などを含めて、「なぜ生きるのか?」という部分と貨幣のつながりについて考えた文章(のはず)。確か、成功法則と自分への嘘で悩む人に何か伝えたくてかいた。--------2015/3/27追記 終わり世の中の成功法則では、だいたい、お金をエネルギーや情報として解釈する。それはすごく正しいし、あっている。ところが、貨幣経済を推し進めた結果、いろいろ社会問題が出てきてしまった。正しいし、愛のエネルギーなはずなのに、なぜか?これを豊かなマインドを持った人が少なくて、欠乏マインドがある人が多いせいだという人がいるが、実はそれだけではない。やはり貨幣経済はシステムとしてそもそもの欠陥をもっている。実はお金の問題点は、お金には人間に対する愛はあったけど、地球や宇宙に対する愛が入っていなかったということである。残念ながらお金という発明品には、地球や宇宙に対する愛があまり入っていない。あくまで人間のため、つまり巷で言われる自己実現レベルをサポートする発明品なのだ。だから人間の欲望を助長してしまうのだ。これは各人の自己責任も当然あるけど、システムとしての欠陥でもある。もうちょっと言うと、この世はフラクタル(相似)で出来ていて、ある問題を抱えたグループが力を発揮してあるシステムを創り上げると、そのシステムは、不思議だけど、その開始時の問題を含んだまま大きくなる。そういう意味で、貨幣経済は地球に対する愛が足りない状況を最初から含んでいたために、その問題がとうとう大きくなってしまった。これは僕らはとても良く考えなくてはいけない問題で、最初にどのレベルの愛をもって取り組んだかによって、その発明品の今後の性質が決まってしまうのである。この問題は、以下の本に詳しい。南アフリカの紛争解決といった、とんでもない難問を解決してきた人間の生の声がつまっている。未来を変えるためにほんとうに必要なこと――最善の道を見出す技術/アダム・カヘン¥1,890Amazon.co.jpこの本で言われているのは、愛なき力は実行力に乏しく、逆に愛なき力は破壊をもたらすということ。そして人間は両方を同時に追い求めることができるということ。この本の理論でいけば、世の中の成功法則が目指す自己実現をしたいという力は、あくまで子供の駄々っ子にすぎない。例えばお金もちになりたいとか、かっこよくなりたいという気持ちは、よーく考えると、それは自己実現にはつながらないのだ。地球を愛する気持ちを持ったとき、僕達は、自己実現をまったく別の角度で見始める。地球の進化に微力ながら貢献することこそ、自分の自己実現なのだということを思う。つながりを感じながら進むことを選択するのだ。そうなると誰もが芸術家になることこそが、唯一の道のように思える。でも神様は自分でやってみるという自由を与えてくれたのだと思う。まさに親が子供をあやすかのことく。結局煎じ詰めていくと、宇宙全体を意識して愛して力を発揮することが、自分にとっての最高の自己実現だと気づく。不思議な世界だけど、こういった気づきのために、きっと人間界があるのだと思う。