盛岡市の近郊、宮沢賢治が愛した零細な山々のなかで、「高洞山 たかぼらやま」と「石ヶ森 いしがもり」の2つは、路が踏まれていて登りやすいようだ。「春の妖精」の出る季節に訪ねてみた。
「高洞山 たかぼらやま」は、山田線・上米内 かみよない 駅からすぐ登山口になる。往復3時間足らず。沢づたいの遡行路と尾根路がある。地図に出ているのは沢づたいの旧道だが、私は尾根筋に行く習性があるので、気づくと尾根づたいに登っていた。
シルエットは行程の標高(左の目盛り)。折れ線は歩行ペース(右の目盛り)。標準の速さを 100% として、区間平均速度で表している。横軸は、歩行距離。
駅前に宮沢賢治の歌碑がある。地元の研究家が建てたもの。賢治熱がつのって、九州から雫石(小岩井の西隣り)に移住したお医者様もいると聞いた。
↑この和歌は、盛岡市内の岩手公園(盛岡城跡)で詠んだもの。
燃えそめし
アークライトは
黒雲の
高洞山を
むかひ立ちたり〔『歌稿B』665a666. 1918年6月〕
この時期、賢治は4月に盛岡高等農林を卒業し、関教授のもとで研究生兼助手として学校に残ったが、肺結核の疑いと診断され(スプレプトマイシン普及以前の当時は不治の病だった)、進路に悩んでいた。暗い心情が歌にあらわれている。前後の連作作品とともに掲げよう↓
#663 暮れざるに
けはしき雲のしたに立ち
いらだち燃ゆるアーク灯あり
#663a664 ニッケルの雲のましたにいらだちて
しらしら燃ゆる
アーク灯あり
#664 黒みねを
はげしき雲の往くときは
こゝろ
はやくもみねを越えつつ。
#665 燃えそめし
アークライトの下に来て
黒雲翔ける夏山を見る
#665a666 燃えそめし
アークライトは
黒雲の
高洞山を
むかひ立ちたり
#666 黒みねを
わが飛び行けば銀雲の
ひかりけはしくながれ寄るかな。
当時、「岩手公園」にはアーク灯が設置されていた。夕方になると係員が点火するのだが、1本だけ昼間から燃えているアーク灯があるというのだ。(おそらく消し忘れ)
その烈しく動揺する光を見ていると、賢治の心は「高洞山」の上空にまで飛翔してしまう。その天空には、銀と黒の「ニッケルの雲」が、今後の暗い生を予告するかのように流れる。
登山口は、駅の中の線路を渡った向こうにある。列車がホームに止まってから渡れと書いてあった。
タムシバだ。方言で「セキザクラ」と云う。
雪はすっかり融けたが、樹々の芽吹きはまだ弱い。前年の黄色な枯れ草、枯れ枝が積み重なる。しんと天を仰ぐ Zypressen。賢治の詩稿でおなじみの世界だ。
↑アブラチャンのようだ。攪乱された涸れ河道で、勝手に春を始めている。
↓こちらはキブシ。じゃらんじゃらん。
岩手山は、きょうはうっすら。山頂火口が、すっかり黒くなっている。今年は雪解けが早い。
尾根すじに昇ってきた。カタクリが出はじめている。
さらに昇ると、もうカタクリも咲いていない。枯れ枝の林がつづく。それでも春だ。どこからか若い木霊 こだま が、白い鳥を追いかけて出てきそうな気がする。眼に見えない巨きな透きとおった生き物。それが岩手の春だ。
足もとには、ホオノキの大きな枯葉が目立つ。クリ、コナラ、ミズナラ、ナラガシワ、ハリギリ。
↓肩の小ピークに上がって平坦になる。
↓「高洞山」に移るゆるいタワ。「なめこ平」という名前がついている。南面の樹種、アカマツとカエデが混じってきた。
↓さいごの登りはきつかったが、ロープが設置されていた。難なく頂上に達する。
↓紫波山塊。きょうは午前中曇っていたので、昼過ぎに出てきたが、晴れても層雲がただよっていて、山々は霞んでいる。
↓岩手山の下は、古い溶岩台地。あした行く「石ヶ森」の方面。ボチッと出ているのは、たぶん「燧掘 かどほり 山」。その手前は北上川の谷で、そのこちら側は、松園 まつぞの 団地、桜台団地の丘陵部。
タイムレコード 20240414 [無印は気圧高度]
「上米内」駅[200mMAP]1412 - 1521「肩のピーク」[488mGPS]1523 - 1528「なめこ平」[469m] - 1538高洞山[518mGPS]1603 - (2)につづく。